・・・私の兄の養子であったが、三四年健康がすぐれないので、勤めていた会社を退いて、若い細君とともにここに静養していることは、彼らとは思いのほか疎々しくなっている私の耳にも入っていたが、今は健康も恢復して、春ごろからまた毎日大阪の方へ通勤しているの・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ 私は五年生ごろから、こんにゃく売りをしていた。学校をあがってから、ときには学校を休んで、近所の屋敷町を売り歩いた。 私は学校が好きだったから、このんで休んだわけではない。こんにゃくを売って、わずかの儲けでも、私の家のくらしのたすけ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・仲間の小野は東京へ出奔したし、いま一人の津田は福岡のゴロ新聞社にころがりこんで、ちかごろは袴をはいて歩いているという噂であった。五高の連中も新人会支部のかぎりでは活動したが、組合のことには手をださなかった。ことに高坂や長野は、学生たちを子供・・・ 徳永直 「白い道」
・・・何をしていたものの成れの果やら、知ろうとする人も、聞こうとする人も無論なかったが、さして品のわるい顔立ではなかったので、ごろつきでも遊び人でもなく、案外堅気の商人であったのかも知れない。 オペラ館の風呂場は楽屋口のすぐ側にあった。楽屋口・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・こんなことはそうさなあ、明治の始めごろの話だぜ、名主というものがまだあった時分だろうな。 名主には帯刀ごめんとそうでないのとの二つがあったが、僕の父親はどっちだったか忘れてしまった。あの相模屋という大きな質屋と酒屋との間の長屋は、僕の家・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ 安岡は十一時ごろになって死のような眠りからよみがえった。 不思議なことには深谷も、まだ寝室にいた。 安岡が眼を覚ましたことを見ると、「君の欠席届は僕が出しておいたよ。安岡君」と、深谷が言った。「ありがと」安岡はしまいま・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・十月ごろから食べはじめ、三月のいわゆる菜種河豚でおしまいにするが、なんといっても正月前後がシュンだ。そこで、正月の松の内に、五、六人の友人と一隻のポンポン船で遠征し、寒さでみんなカゼを引いてしまった。しかも、河豚は二匹しか釣れず、その一匹を・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・それにも構わず善吉は毎晩のように通い詰め通い透して、この十月ごろから別して足が繁くなり、今月になッてからは毎晩来ていたのである。死金ばかりは使わず、きれるところにはきれもするので、新造や店の者にはいつも笑顔で迎えられていたのであった。「・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・今日の実習にはそれをやった。去年の九月古い競馬場のまわりから掘って来て植えておいたのだ。今ごろ支柱を取るのはまだ早いだろうとみんな思った。なぜならこれからちょうど小さな根がでるころなのに西風はまだまだ吹くから幹がてこになってそれを切るのだ。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 短い月日の間に、はげしく推移する情勢に応じて書かれた一九三三年ごろの諸評論には、いそいで刻下に必要な階級文化のための土台ごしらえを堅めようとする著者のたたかいの気迫がみなぎっている。そのたたかいの気迫、抵抗の猛勇な精神は、その情勢の中・・・ 宮本百合子 「巖の花」
出典:青空文庫