・・・「いやその安価のが私ゃ気に喰わんのだが、先ず御互の議論が通ってあの予算で行くのだから、そう安ぽい直ぐ欄の倒れるような険呑なものは出来上らんと思うがね」と言って気を更え、「其処で寄附金じゃが未だ大な口が二三残ってはいないかね?」「未だ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・そういう人間が多いから商売が険悪になって、西の方で出来たイカサマ物を東の方の田舎へ埋めて置いて、掘出し党に好い掘出しをしたつもりで悦ばせて、そして釣鉤へ引掛けるなどという者も出て来る。京都出来のものを朝鮮へ埋めて置いて、掘出させた顔で、チャ・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・と駄目をおし、「むかし嵯峨のさくげん和尚の入唐あそばして後、信長公の御前にての物語に、りやうじゆせんの御池の蓮葉は、およそ一枚が二間四方ほどひらきて、此かほる風心よく、此葉の上に昼寝して涼む人あると語りたまへば、信長笑わせ給へば、云々」とあ・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・伊予の西の端に指のように突き出た佐田岬半島と豊後の佐賀の関半島とは、大昔には四国から九州につながった一つの山脈であったのが、海峡の辺の大地が落ち込んだためにあのような半島とこの豊後海峡が出来たという事です。今でもこの海峡には海の底に狭い敷居・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・主人はもう五十を越した、人の好さそうな男であるが、主婦はこれも五十近所で、皮膚の蒼黄色い何処となく険のあるいやな顔だと始め見た時から思った。主人夫婦の外には二十二、三の息子らしい弱そうな脊の高い男と、それからいつも銀杏返しに結うた十八、九の・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・莫約根津ト称スル地藩ハ東西二丁ニ充タズ、南北険ド三丁余。之ヲ七箇町ニ分割ス。則曰ク七軒町、曰ク宮永町、曰ク片町等ハ倶ニ皆廓外ニシテ旧来ノ商坊ナリ。曰ク藍染町、曰ク清水町、曰ク八重垣町等ハ僉廓内ニシテ再興以来ノ新巷ナリ。爾シテ花街ハ其ノ三分ノ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・滅多に下りると滑って尻餅を搗く。険呑だと八合目あたりから下を見て覘をつける。暗くて何もよく見えぬ。左の土手から古榎が無遠慮に枝を突き出して日の目の通わぬほどに坂を蔽うているから、昼でもこの坂を下りる時は谷の底へ落ちると同様あまり善い心持では・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・に到着した自転車の鞍とペダルとは何も世間体を繕うために漫然と附着しているものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしてペダルは足を載せかつ踏みつけると回転するためのペダルなり、ハンドルはもっとも危険の道具にして、一度びこれを握るときは人・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・――倫敦にゃだいぶ別嬪がいますよ、少し気をつけないと険呑ですぜ」ととんだ所へ火の手が揚る。これで余の空想の後半がまた打ち壊わされた。主人は二十世紀の倫敦人である。 それからは人と倫敦塔の話しをしない事にきめた。また再び見物に行かない事に・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・自分はさすがにそれほど大胆ではなかったので、どうも険呑に思われて断行し得なかった。で、依然旧翻訳法でやっていたが、…… 併しそれは以前自分が真面目な頭で、翻訳に従事した頃のことである、近頃のは、いやもうお話しにならない。・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
出典:青空文庫