・・・ある家の横を通ると、前の圃にさくがしてあって、鶏がたくさん遊んでいました。 もう、お母さんに抱かれている、小さい弟の繁さんも、後からついてきた、義ちゃんも、うれしそうな顔つきをして、元気でありました。しばらく立ち止まって、鶏の遊んでいる・・・ 小川未明 「僕は兄さんだ」
・・・ 別製アイスクリーム、イチゴ水、レモン水、冷やし飴、冷やしコーヒ、氷西瓜、ビイドロのおはじき、花火、水中で花の咲く造花、水鉄砲、水で書く万年筆、何でもひっつく万能水糊、猿又の紐通し、日光写真、白髪染め、奥州名物孫太郎虫、迷子札、銭亀、金・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ という一言が、彼を悪の華の咲く園に追いやり、太陽の光線よりも夜光虫の光にあこがれさせてしまわないとは、断言できない。「復員の荷物みたいなもン、一つもないぜ」 係員は棚の荷物をちらと見廻して言った。「しかし、預けたことはたし・・・ 織田作之助 「夜光虫」
桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
自分がその道を見つけたのは卯の花の咲く時分であった。 Eの停留所からでも帰ることができる。しかもM停留所からの距離とさして違わないという発見は大層自分を喜ばせた。変化を喜ぶ心と、も一つは友人の許へ行くのにMからだと大変大廻りになる・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・『御ゆるしのほど願い参らせ候今は二人が間のこと何事も水の泡と相成り候妾は東京に参るべく候悲しさに胸はりさくばかりに候えど妾が力に及び難く候これぞ妾が運命とあきらめ申し候……されど妾決して自ら弁解いたすまじく候妾がかねて想いし事今はまこと・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・と答えると、婆さんも笑って、それもばかにしたような笑いかたで、「桜は春咲くこと知らねえだね」といった。そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなにおもしろいかを婆さんの耳にも解るように話してみたがむだであった。東京の人はのんきだという一語で消されて・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・その中には生木を割くような生別もあるのである。 いったん愛し合い結び合った者は一生離れず終わりを全うするのが美しく望ましいのはいうまでもない。この現実の世ではそうした人倫の「有終の美」は稀なだけにどんなに尊いかしれない。天智天皇と藤原鎌・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・昔伊勢の国で冬咲の桜を見て夢庵が、冬咲くは神代も聞かぬ桜かな、と作ったのは、伊勢であったればこそで、かように本歌を取るが本意である、毛利大膳が神主ではあるまいし、と笑ったということである。紹巴もこの人には敵わない。光秀は紹巴に「天が下しる五・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・薫は、春咲く蘭に対して、秋蘭と呼んで見てもいいもので、かれが長い冬季の霜雪に耐えても蕾を用意するだけの力をもった北のものなら、これは激しい夏の暑さを凌いで花をつける南のものだ。緑も添い、花も白く咲き出る頃は、いかにも清い秋草の感じが深い。こ・・・ 島崎藤村 「秋草」
出典:青空文庫