・・・どうか冥護を賜るように御祈祷をお捧げ下さいまし。」 女の声は落着いた中に、深い感動を蔵している。神父はいよいよ勝ち誇ったようにうなじを少し反らせたまま、前よりも雄弁に話し出した。「ジェズスは我々の罪を浄め、我々の魂を救うために地上へ・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・ × × × 三十分の後、彼は南蛮寺の内陣に、泥烏須へ祈祷を捧げていた。そこにはただ円天井から吊るされたランプがあるだけだった。そのランプの光の中に、内陣を囲んだフレスコの壁に・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・沈んではいるがしゃんと張切った心持ちになって、クララは部屋の隅の聖像の前に跪いて燭火を捧げた。そして静かに身の来し方を返り見た。 幼い時からクララにはいい現わし得ない不満足が心の底にあった。いらいらした気分はよく髪の結い方、衣服の着せ方・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 白き牡丹の大輪なるに、二ツ胡蝶の狂うよう、ちらちらと捧げて行く。 今はたとい足許が水になって、神路山の松ながら人肌を通す流に変じて、胸の中に舟を纜う、烏帽子直垂をつけた船頭なりとも、乗れとなら乗る気になった。立花は怯めず、臆せず、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・幇間なかまは、大尽客を、獅子に擬え、黒牡丹と題して、金の角の縫いぐるみの牛になって、大広間へ罷出で、馬には狐だから、牛に狸が乗った、滑稽の果は、縫ぐるみを崩すと、幇間同士が血のしたたるビフテキを捧げて出た、獅子の口へ、身を牲にして奉った、と・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・時しも、鬱金木綿が薄よごれて、しなびた包、おちへ来て一霜くらった、大角豆のようなのを嬉しそうに開けて、一粒々々、根附だ、玉だ、緒〆だと、むかしから伝われば、道楽でためた秘蔵の小まものを並べて楽しむ処へ――それ、しも手から、しゃっぽで、袴で、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・線香と花とを五つに分けて母の石塔にまで捧げた。姉夫婦も無言である、予も無言である。「お父さんわたいお祖父さん知ってるよ、腰のまがった人ねい」「一昨年お祖父さんが家へきたときに、大きい銀貨一つずつもらったのをおぼえてるわ」「お父さ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・腐った下の帯に乳鑵二箇を負ひ三箇のバケツを片手に捧げ片手に牛を牽いている。臍も脛も出ずるがままに隠しもせず、奮闘といえば名は美しいけれど、この醜態は何のざまぞ。 自分は何の為にこんな事をするのか、こんな事までせねば生きていられないのか、・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・て貰って平気に草を食ってる、惣領が長い柄の柄杓で水を牛の背にかける、母親が縄たわしで頻りに小摺ってやる、白い手拭を間深かに冠って、おれのいったのも気がつかずにやってる、表手の庭の方には、白らげ麦や金時大角豆などが庭一面に拡げて隙間もなく干し・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・ 沼南はまた晩年を風紀の廓清に捧げて東奔西走廃娼禁酒を侃々するに寧日なかった。が、壮年の沼南は廃娼よりはむしろ拝娼で艶名隠れもなかった。が、その頃は紅倚翠を風流として道徳上の問題としなかった。忠孝の結晶として神に祀られる乃木将軍さえ若い・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
出典:青空文庫