・・・夫の書斎から差すほのかな灯かげの闇で、夜おそく、かさかさと巣の中で身じろぐ音などが聞える。 ところが四五日前、一羽の紅雀が急に死んで仕舞った。朝まで元気で羽並さえ何ともなかったのに、暮方水を代えてやろうとして見ると、思いもかけない雄の鮮・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・ 死顔に差す光線は糸蝋のまたたくのと暁の水の様な色が最もまるで反対に良い。 黄金色の繁くまたたく光線にくっきりと紫色の輪廓をとって横わって居る姿は神秘的なはでやかさをもって居る。 うす灰色から次第次第に覚めて来て水の様な色が・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・その場の言葉と光景とは私の心に刺すようなものを感じさせ、そのときの感じは今も消えず、今度の暴行沙汰のような折、生々しく甦って来て、再び多くのことを考えさせるのです。 地方の女学校に教師をしている友達が、面に恐怖を浮べて、対校競技の時他の・・・ 宮本百合子 「現実の問題」
・・・ 侮蔑と憤りとで自分は唇が白くなるようであった。刺すように語気が迸った。「――宮本が、どこにつかまっているんです!」 さすがにためらった。口のうちで、「いつまでも勝手な真似はさせて置かないんだ」 ガラス窓からは晴れた四月・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 奇麗に結った日本髪の堅くふくれた髷が白っとぼけた様な光線につめたく光って束髪に差す様な櫛が髷の上を越して見えて居た。 だまって先(ぐ後から軽く肩を抱えた。 急に振りっ返った京子は顔いっぱいに喜んで、「まあ来て下さったの・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・ 先生は可愛いのだから、此那事を云いたく無い、厭だ厭だと思いながら、西日の差す塵っぽい廊下の角で、息をつまらせて口答えを仕たお下髪の自分を思う。――その時分私は自分を詩人だと思っていた――。 七月の日は麗わしい。天地は光りに満ちてい・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・ 後から差す日は、ポカポカと体中に行き渡って、手足や瞼が甘えるように気怠るくなる。 見わたすと、彼方の湯元から立ち昇る湯気が、周囲の金茶色の木立ちの根元から梢へとほの白く這い上って、溶けかかる霜柱が日かげの叢で水晶のように光って見え・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 止すさ。引込むだけのことさ。そして、冷めきってからまたやるんだ! それが遊びだ」 ゴーリキイには益々この男が気に入り、彼の話しぶりは、輝やかしい祖母さんの物語を連想させる程である。しかし、どうしてもこの男には気に入らぬところがあった。・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ しかし奥さんにはその笑声が胸を刺すように感ぜられた。秀麿が心からでなく、人に目潰しに何か投げ附けるように笑声をあびせ掛ける習癖を、自分も意識せずに、いつの間にか養成しているのを、奥さんは本能的に知っているのである。 食事をしまって・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・とどめは己が刺す」九郎右衛門は乗り掛かって吭を刺した。 九郎右衛門は刀の血を虎蔵の袖で拭いた。そしてりよにも脇差を拭かせた。二人共目は涙ぐんでいた。「宇平がこの場に居合せませんのが」と、りよは只一言云った。 九郎右衛門等三人・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫