・・・私の生れた時には其の新しい家の床柱にも、つやぶきんの色の稍さびて来た頃で。されば昔のままなる庭の石には苔いよいよ深く、樹木の陰はいよいよ暗く、その最も暗い木立の片隅の奥深いところには、昔の屋敷跡の名残だという古井戸が二ツもあった。その中の一・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 廊下には上草履の音がさびれ、台の物の遺骸を今室の外へ出しているところもある。はるかの三階からは甲走ッた声で、喜助どん喜助どんと床番を呼んでいる。「うるさいよ。あんまりしつこいじゃアないか。くさくさしッちまうよ」と、じれッたそうに廊・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・谷に臨めるかたばかりの茶屋に腰掛くれば秋に枯れたる婆様の挨拶何となくものさびて面白く覚ゆ。見あぐれば千仞の谷間より木を負うて下り来る樵夫二人三人のそりのそりとものも得言わで汗を滴らすさまいと哀れなり。 樵夫二人だまつて霧をあらはるゝ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ルテイという名を云う人も一人だってあるでなし、実は私も少し意外に感じたので〔以下原稿数枚なし〕は町をはなれて、海岸の白い崖の上の小さなみちを行きました、そらが曇って居りましたので大西洋がうすくさびたブリキのように見え、秋風は白いなみ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・植込まれた楓が、さびてこそおれ、その細そりした九州の楓だから座敷に坐って、蟹が這い出した飛石、苔むした根がたからずっと数多の幹々を見透す感じ、若葉のかげに一種独特な明快さに充ちている。茶室などのことを私は何も知らないが東京や京都で茶室ごのみ・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・ わたしたちは、率直に、民主主義文学批評の方法は、こんにちではさびついた部分をもっているという事実を認めていいと思う。多くの民主的批評家を我ながらぎごちなく感じさせているにちがいないさびつきの徴候は、一九四七年第三回新日本文学会大会・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・「もののあはれ」ということは佐藤春夫氏の今日的文学の核をなしており、「まこと」「ますらをぶり」「さび」「なぐさみ」等の言葉は保田その他の諸氏の愛好する語彙である。だが、それらの用語は天から降る金の箭のように扱われ、古代・中世・近世日本の文学・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・なるものと等しく物さびたある批評家達の頭であろう。風流なるものは畢竟ある時代相から流れ出た時代感覚とその時代の生活の感覚化との一致を意味している。これが感覚的なものか直感的なものか意志的なものかとの論証が一時人々の間に於て華かにされたことが・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・今度の歌集で先生は、もののさびものの渋味はおのづからいたりつく時はじめて知らゆと歌っていられるが、そういう先生の境地が先生の歌を味わうものの心にもしみじみと伝わってくるように感ぜられる。それはまことに達人の域である。何事にも・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
・・・柔らかに枝を垂れている濠側の柳、淀んだ濠の水、さびた石垣の色、そうして古風な門の建築、――それらは一つのまとまった芸術品として、対岸の高層建築を威圧し切るほどの品位を見せている。自分は以前に幾度となくこの門の前を通ったのであるが、しかしここ・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫