・・・はいかなる潮流が横わりつつあるか、英国には武士という語はないが紳士と〔いう〕言があって、その紳士はいかなる意味を持っているか、いかに一般の人間が鷹揚で勤勉であるか、いろいろ目につくと同時にいろいろ癪に障る事が持ち上って来る。時には英吉利がい・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・しかも田舎にて昔なれば藩士の律儀なる者か、今なれば豪家の秘蔵息子にして、生来浮世の空気に触るること少なき者に限るが如し。これらの例をかぞうれば枚挙にいとまあらず。あまねく人の知るところにして、いずれも皆人生奇異を好みて明識を失うの事実を証す・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・うか、又は娘に相続の養子する場合にも、新旧両夫婦は一家に同居せずして、其一組は近隣なり又は屋敷中の別戸なり、又或は家計の許さゞることあらば同一の家屋中にても一切の世帯を別々にして、詰る所は新旧両夫婦相触るゝの点を少なくすること至極の肝要なり・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・その態度が私の癪に触る。……よくも考えないで生意気が云えたもんだ。儚い自分、はかない制限された頭脳で、よくも己惚れて、あんな断言が出来たものだ、と斯う思うと、賤しいとも浅猿しいとも云いようなく腹が立つ。で、ある時小川町を散歩したと思い給え。・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・見るところ聞くところ触るるところことごとく三十一字中に収めざるなし。曙覧の歌想豊富なるは単調なる『万葉』の及ぶところにあらず。〔『日本』明治三十二年四月九日〕 世に『万葉』を模せんとする者あり、『万葉』に用いし語の外は新らしき語を用・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・その後は西洋画を排斥する人に逢うと癇癪に障るので大に議論を始める。終には昔為山君から教えられた通り、日本画の横顔と西洋画の横顔とを画いて「これ見給え、日本画の横顔にはこんな目が画いてある、実際 君、こんな目があるものじゃない」などと大得意に・・・ 正岡子規 「画」
・・・これは経験のない人に話したところがわからん事であるからいうにも及ばぬが、しかし時々この誤解をしられるために甚だ肝癪に障ることがある。宗教家らしい人は自分のために心配してくれていろいろの方法を教えてくれる人があるが、いずれも精神安慰法ともいう・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・走者は正方形の四辺を一周せんとする者にして一歩もこの線外に出ずるを許さずしかしてこの線上において一たび敵の球に触るれば立どころに討ち死(除外を遂ぐべし。ここに球に触るるというは防者の一人が手に球を持ちてその手を走者の身体の一部に触るることに・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・一太は決して歩いて行ってそれに触るようなことはしなかったが、浅草のおばさんちにあったような鳥の剥製でもあるといいのに! 壁には髭もじゃ爺の写真がかかっているだけだ。 先刻から、一太の母と主人とは大体こんな会話をしていた。「私もそうお・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・私は、雨戸に何か触るカサカサという音を聞いた。「そう風だ、風以外の何であろうはずはないではないか、そして、あの雨どいの下にシュロが生えている、シュロの葉は大きく強く広がっていたのを私は昼間見たではないか」 私は……確り眼と耳をつぶって寝・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
出典:青空文庫