・・・しかし静に考察すれば芸術家が土耳古の山河風俗を愛惜する事は、敢て異となすには及ばない。ピエール・ロチは欧洲人が多年土耳古を敵視し絶えずその領土を蚕食しつつある事を痛嘆して『苦悩する土耳古』と題する一書を著し悲痛の辞を連ねている。日本と仏蘭西・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・手帳を出しすばやく何か書きつく、特務曹長に渡す、順次列中に渡る、唱バナナン大将の行進歌合唱「いさおかがやく バナナン軍マルトン原に たむろせど荒さびし山河の すべもなく饑餓の 陣営 日にわたり夜をもこむれ・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・「トパァスのつゆはツァランツァリルリン、 こぼれてきらめく サング、サンガリン、 ひかりの丘に すみながら なぁにがこんなにかなしかろ」 まっ碧な空では、はちすずめがツァリル、ツァリル、ツァリルリン、ツァ・・・ 宮沢賢治 「虹の絵具皿」
・・・をかきながら、自分の文学のリアリズムに息がつまって、午前中小説をかけば午後は小説をかくよりももっと熱中して南画をかき、空想の山河に休んだということは、何故漱石のリアリズムが彼を窒息させたかという文学上の問題をおいても、大正初期の日本文化の一・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・しかもそこまでを、出来るだけ迷路にひっぱって、模造の山河をしつらえて、引きまわされるのを承知して引きまわされてゆく面白さである。 科学的構造が精密であればあるほど謂わば嘘の過程に複雑さがあって、面白いのだろう。或る意味での知的デカダンス・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・ みずから山河巨大な中国に生れ合わした人民の一人として、中国の民衆生活を衷心から愛し、おかれている苦渋の生活を哀惜し、その未来の運命の発展に対して限りない関心をもっている。そのこころが溢れている。ロシア文学史の十八世紀末から十九世紀の間・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・故郷が恋しい、母サンやお祖母サンガ居ナイカラ僕ツマンナイヤ、とは、幼い藤村の手紙に決して率直に書かれなかったであろう。 藤村が文学の仕事に入った頃、日本の文学はロマンチシズムの潮流に動かされていた。当時の文学傾向がそうであったと云うばか・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・清少納言の婦人及び芸術家としての生活に対して、著者は穏かな表現のうちに実感をこめて「私どもも人生の幾山河をこえ、清少納言がこの枕草子を書いた年齢よりずっと多くの年を重ね、理智や批判の眼も少しはあけられて来ました」とこの王朝女流作家の輝やかし・・・ 宮本百合子 「若い世代のための日本古典研究」
出典:青空文庫