・・・のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈しくざわざわ揺れたと思うと、後の絶壁の頂からは、四斗樽程の白蛇が一匹、炎のような舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。 杜子春はしかし平然と、眉毛も動かさずに坐っていました。 虎と蛇・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・ 場主がまだ何か訓示めいた事をいうらしかったが、やがてざわざわと人の立つ気配がした。仁右衛門は息気を殺して出て来る人々を窺がった。場主が帳場と一緒に、後から笠井に傘をさしかけさせて出て行った。労働で若年の肉を鍛えたらしい頑丈な場主の姿は・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・……顔を倒にして、捻じ向いて覗いたが、ト真赤な蟹が、ざわざわと動いたばかり。やどかりはうようよ数珠形に、其処ら暗い処に蠢いたが、声のありそうなものは形もなかった。 手を払って、「ははあ、岡沙魚が鳴くんだ」 と独りで笑った。・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ そこへ……小路の奥の、森の覆った中から、葉をざわざわと鳴らすばかり、脊の高い、色の真白な、大柄な婦が、横町の湯の帰途と見える、……化粧道具と、手拭を絞ったのを手にして、陽気はこれだし、のぼせもした、……微酔もそのままで、ふらふらと花を・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・そこらの柿の樹の枝なんか、ほら、ざわざわと烏めい、えんこをして待ってやがる。 五六里の処、嗅ぎつけて来るだからね。ここらに待っていて、浜へ魚の上るのを狙うだよ、浜へ出たって遠くの方で、船はやっとこの烏ぐれえにしか見えやしねえや。 や・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ と両手で頤を扱くと、げっそり瘠せたような顔色で、「一ッきり、洞穴を潜るようで、それまで、ちらちら城下が見えた、大川の細い靄も、大橋の小さな灯も、何も見えぬ。 ざわざわざわざわと音がする。……樹の枝じゃ無い、右のな、その崖の中腹・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 小笹ざわざわと音したれば、ふと頭を擡げて見ぬ。 やや光の増し来れる半輪の月を背に、黒き姿して薪をば小脇にかかえ、崖よりぬッくと出でて、薄原に顕れしは、まためぐりあいたるよ、かの山番の爺なりき。「まだ帰らっしゃらねえの。おお、薄・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・大抵は萱を分けて、ざわざわざわと出で来り、樵夫が驚いて逃げ帰るくらいのものなり。中には握飯を貰いて、ニタニタと打喜び、材木を負うて麓近くまで運び出すなどいうがあり。だらしのなき脊高にあらずや。そのかわり、遠野の里の彼のごとく、婦にこだわるも・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・…… 水は清く流れました、が、風が少し出ましてね、何となくざっと鳴ると、……まさか、そこへ――水を潜って遁げたのではありますまいが、宮裏の森の下の真暗な中に落重った山椿の花が、ざわざわと動いて、あとからあとから、乱れて、散って、浮いて来・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・また一日を空に過す…… 山査子の枝が揺れて、ざわざわと葉摺の音、それが宛然ひそめきたって物を云っているよう。「そら死ぬそら死ぬそら死ぬ」と耳の端で囁けば、片々の耳元でも懐しい面「もう見えぬもう見えぬもう見えぬ」「見えん筈じゃ、此様な・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫