・・・ある時は仕官懸命の地をうらやみ、まさか仏籬祖室の扉の奥にはいろうとは、思わなかったけれど、教壇に立って生徒を叱る身振りにあこがれ、機関車あやつる火夫の姿に恍惚として、また、しさいらしく帳簿しらべる銀行員に清楚を感じ、医者の金鎖の重厚に圧倒さ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・レールを挾んで敵の鉄道援護の営舎が五棟ほど立っているが、国旗の翻った兵站本部は、雑沓を重ねて、兵士が黒山のように集まって、長い剣を下げた士官が幾人となく出たり入ったりしている。兵站部の三箇の大釜には火が盛んに燃えて、煙が薄暮の空に濃く靡いて・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ヨーヨーの緊張時代のあとにコリントゲームの弛緩時代がめぐって来たものと見える。 三原山投身者もこの頃減ったそうである。 三 へリオトロープ よく晴れた秋の日の午後室町三越前で電車を待っていた。右手の方の空間で何・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・てその単純明白なモチーフが非常に多面的立体的に取り扱われているために、同じものの繰り返しが少しの倦怠を感ぜしめないのみならず、一歩一歩と高調する戯曲的内容を導いて最後の最頂点に達するまでに観客の注意の弛緩を許さないのであろう。 この映画・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・たとえば兵営の浴室と隣の休憩室との間におけるカメラの往復によって映出される三人の士官の罪のない仲のいいいさかいなどでも、話の筋にはたいした直接の関係がないようであるが、これがあるので、後にこの三人が敵の牢屋に入れられてからのクライマックスが・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ただその先生の平生の勉強ぶりから推して考えてみると、映画の享楽の影響から自然学問以外の人間的なことに興味を引かれるようになり、肝心の学問の研究に没頭するに必要な緊張状態が弛緩すると困るということを、こういう独特な言葉で言い現わしたのではない・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・その時ばかりは兵隊が可哀相で、反身になった士官の胸倉へ飛び付いてやろうかと思った。それ以来軍人と云うものはすべてあんなものかと云うような単純な考えが頭に沁みて今でも消えぬ。こんな訳だから、学校でも軍人希望の者などとはどうしても肌が合わぬ、そ・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ 世の中の人の心は緊張と弛緩の波の上に泛っている。正と負の両極の間に振動している。「善行日」ばかりを奨励するのも考え物ではあるまいか。少なくとも「悪行日」をこれと並行錯雑させて設けてみるのも一つの案ではあるまいか。昔の為政家は実際そ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ こんな実例から見ると、こうした種類の涙は異常な不快な緊張が持続した後にそれがようやく弛緩し始める際に流れ出すものらしい。 うれし泣きでも同様である。たいてい死んだであろうと思われていたむすこが無事に帰ったとか、それほどでなくとも、・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そうして明治十八年に東京の士官学校附に栄転するまでただの一度も帰省しなかったらしい。交通の便利な今のわれわれにはちょっと想像し難いほどの長い留守を明けたものであるが、若い時から半分以上は他国を奔走してばかりいた父には五年くらいの留守は何でも・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
出典:青空文庫