これは自分より二三年前に、大学の史学科を卒業した本間さんの話である。本間さんが維新史に関する、二三興味ある論文の著者だと云う事は、知っている人も多いであろう。僕は昨年の冬鎌倉へ転居する、丁度一週間ばかり前に、本間さんと一し・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・何といっても日本の最高学府たる帝国大学に対しては民間私学は顔色なき中に優に大学と拮抗して覇を立つるに足るは実業における三田と文学における早稲田とで、この早稲田の文学をしてシカク威力あらしめたるは一に坪内君の功労である。文部大臣が三君の中先ず・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・寺田は京都生れで、中学校も京都A中、高等学校も三高、京都帝大の史学科を出ると母校のA中の歴史の教師になったという男にあり勝ちな、小心な律義者で、病毒に感染することを惧れたのと遊興費が惜しくて、宮川町へも祇園へも行ったことがないというくらいだ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・フリードリッヒ大王や、ゲーテの事蹟は斯学の対象として、いつまでも研究をつづけていかれる。 社会主義の倫理観は一種の社会的幸福主義である。そして経済条件をその幸福の基礎とする点において、物的福利を重んずる。それが実質的、現実的、社会的であ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・それだけならば、まだしもであるが、困ったことには、各自が専門とする部門が斯学全体の中の一小部分であることをいつか忘れてしまって、自分の立場から見ただけのパースペクティヴによって、自分の専門が学全体を掩蔽するその見掛け上の主観的視像を客観的実・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・こうした独断的否定はむしろ往々にしていわゆる斯学の権威と称せられまた自任する翰林院学者に多いのである。例えばダイナモの発明に際してある大家がその不可能を論じたにかかわらず電流が遠慮なく流れ出したのは有名な話である。また若い学士が申出したある・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・自分にはこの二つの態度がいつまでも互いに別々に離れて相対しているという事が斯学の進歩に有利であろうとは思われない。むしろ進んで、暗合的なものと因果的なものとを含めた全体のものを取って、何かの合理的な篩にかけて偶然的なものと必然的なものとを篩・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・自分は現在の物理学の概念をことごとく改造して従来よりもいっそう思考の経済上有利な体系ができうるかどうか到底想像する事はできないが、しかし少なくも物理学の従来の歴史から見て、斯学の発展と共に種々の概念が改造されあるいは新たに構成されまた改造さ・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・郡の小学校が何十か集って、代表児童たちが得意の算盤とか、書き方とか、唱歌とか、お話とかをして、一番よく出来た学校へ郡視学というえらい役人から褒状が渡されるのだった。そのとき私たちは、林が英語の本を読み、私が通訳するということであった。 ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・雲如の一生は寛政詩学の四大家中に数えられた柏木如亭に酷似している。如亭も江戸の人で生涯家なく山水の間に放吟し、文政の初に平安の客寓に死したのである。 遠山雲如の『墨水四時雑詠』には風俗史の資料となるべきものがある。島田筑波さんは既に何か・・・ 永井荷風 「向嶋」
出典:青空文庫