・・・塚のやや円形に空虚にして畳二ひら三ひらを敷くべく、すべて平めなる石をつみかさねたるさま、たとえば今の人の煉瓦を用いてなせるが如し。入口の上框ともいうべきところに、いと大なる石を横たえわたして崩れ潰えざらしめんとしたる如きは、むかしの人もなか・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・兎角コチンコチンコセコセとした奴らは市区改正の話しを聞くと直に日本が四角の国でないから残念だなどと馬鹿馬鹿しい事を考えるのサ。白痴が羊羹を切るように世界の事が料理されてたまるものか。元来古今を貫ぬく真理を知らないから困るのサ、僕が大真理を唱・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
一 私は死刑に処せらるべく、今東京監獄の一室に拘禁せられて居る。 嗚呼死刑! 世に在る人々に取っては、是れ程忌わしく恐ろしい言葉はあるまい、いくら新聞では見、物の本では読んで居ても、まさかに自分が此忌わ・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・これで可いのである、兼ての覚悟あるべき筈である、私に取っては、世に在る人々の思うが如く、忌わしい物でも、恐ろしい物でも、何でもない。 私が死刑を期待して監獄に居るのは、瀕死の病人が施療院に居るのと同じである、病苦の甚しくないだけ更に楽か・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・それから「じゃ、敷くわねえ」と言った。 女は酒をつぐと、「ハイ」と彼に言った。「俺は飲まないんだ。君に飲ませるよ」「どうして?」「飲みたくないんだ」彼は女の手に盃を持たしてやった。「ソお」女は今度はすぐ飲んだ。 ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・私は、年もまだ若く心も柔らかい子供らの目から、殺人、強盗、放火、男女の情死、官公吏の腐敗、その他胸もふさがるような記事で満たされた毎日の新聞を隠したかった。あいにくと、世にもまれに見る可憐な少年の写真が、ある日の紙面の一隅に大きく掲げてあっ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・お新は母親の機嫌の好いのを嬉しく思うという風で、婆やと三吉の顔を見比べて置いて、それから好きな煙草を引きよせていた。 その朝から三吉はおげんの側で楽しい暑中休暇を送ろうとして朝飯でも済むと復た直ぐ屋外へ飛び出して行ったが、この小さな甥の・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その日は日比谷公園を散歩しながら久し振でゆっくり話そう、ということに定めて、街鉄の電車で市区改正中の町々を通り過ぎた。日比谷へ行くことは原にとって始めてであるばかりでなく、電車の窓から見える市街の光景は総て驚くべき事実を語るかのように思われ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・継ぎはぎの一時凌ぎ、これが正しく私の実行生活の現状である。これを想うと、今さらのように armer Thor の嘆が真実であることを感ずる。二 私はどうしたらよかろうか。私は一体どうして日々を送っているか。全くのその日暮し、・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・王さまはそれをごらんになって、じぶんもそういうふうに若く美しくなりたいとお思いになり、「では、わしも一度死んで生きかえりたい。」とお言いになりました。 王女は仰せを聞いて、さっそく、死の水を王さまにふりかけて、それから、命の水をかけ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫