・・・その中には、手前の親族の者もございます。して見ればお恥しい気のするのも無理はございますまい。」 一座の空気は、内蔵助のこの語と共に、今までの陽気さをなくなして、急に真面目な調子を帯びた。この意味で、会話は、彼の意図通り、方向を転換したと・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・が、いよいよ帰るとなっても、野次馬は容易に退くもんじゃない。お蓮もまたどうかすると、弥勒寺橋の方へ引っ返そうとする。それを宥めたり賺したりしながら、松井町の家へつれて来た時には、さすがに牧野も外套の下が、すっかり汗になっていたそうだ。……」・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・日本利あらずして退く。己酉……さらに日本の乱伍、中軍の卒を率いて進みて大唐の軍を伐つ。大唐、便ち左右より船を夾みて繞り戦う。須臾の際に官軍敗績れぬ。水に赴きて溺死る者衆し。艫舳、廻旋することを得ず。」(日本書紀 いかなる国の歴史もその国・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・土百姓同様の貧乏士族の家に生まれて、生まれるとから貧乏には慣れている。物心のついた時には父は遠島になっていて母ばかりの暮らしだったので、十二の時にもう元服して、お米倉の米合を書いて母と子二人が食いつないだもんだった。それに俺しには道楽という・・・ 有島武郎 「親子」
・・・と、いうと、腰を上げざまに襖を一枚、直ぐに縁側へ辷って出ると、呼吸を凝して二人ばかり居た、恐いもの見たさの徒、ばたり、ソッと退く気勢。「や。」という番頭の声に連れて、足も裾も巴に入乱るるかのごとく、廊下を彼方へ、隔ってまた跫音、次第に跫・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・態に似合わず悠然と落着済まして、聊か権高に見える処は、土地の士族の子孫らしい。で、その尻上がりの「ですか」を饒舌って、時々じろじろと下目に見越すのが、田舎漢だと侮るなと言う態度の、それが明かに窓から見透く。郵便局員貴下、御心安かれ、受取人の・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・なにがし公と、なにがし侯と、なにがし伯と、みな立ち会いの親族なり。しかして一種形容すべからざる面色にて、愁然として立ちたるこそ、病者の夫の伯爵なれ。 室内のこの人々に瞻られ、室外のあのかたがたに憂慮われて、塵をも数うべく、明るくして、し・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・女房の身分に就いて、忠告と意見とが折合ず、血気の論とたしなめられながらも、耳朶を赤うするまでに、たといいかなるものでも、社会の階級の何種に属する女でも乃公が気に入ったものをという主張をして、華族でも、士族でも、町家の娘でも、令嬢でもたとい小・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・で、知りませんと、鼻をつまらせ加減に、含羞んで、つい、と退くが、そのままでは夜這星の方へ来にくくなって、どこへか隠れる。ついお銚子が遅くなって、巻煙草の吸殻ばかりが堆い。 何となく、ために気がとがめて、というのが、会が月の末に当るので、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ これに悚然とした状に、一度すぼめた袖を、はらはらと翼のごとく搏いたのは、紫玉が、可厭しき移香を払うとともに、高貴なる鸚鵡を思い切った、安からぬ胸の波動で、なお且つ飜々とふるいながら、衝と飛退くように、滝の下行く桟道の橋に退いた。 ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
出典:青空文庫