・・・舞台には小姓一人のこって、法王の出て行った方をしばらく見つめて、やがて深い溜息をついてから反対の戸口――下手からひきずる様な足つきをして退く。幕 第二幕 第一場 場所 ヘンリ・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・ こういう家と時代に生れ、ゴーリキイは生粋下層民の子供として人生と闘いつつ、親族に労働者として働いている者が一人もなかったため、小僧働きの環境はいつも手近な縁を辿って都市的な小市民的雰囲気に限られていたこと、その窒息的に濃い重い執こい空・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ 人々が寝室に退くその一瞬間前の、ややとり散した位置のまま思い思いに彼方此方を向いて居る椅子や、少し隅々のまくれたカーテンや歪められたクッションなどは、却って、日のある時には思いもよらなかった暗示的な感銘を与える。 若しその気分をも・・・ 宮本百合子 「無題(三)」
・・・日本の石器時代の氏族社会は、まだ総ての生産手段とその収穫とを共有していた時代で、氏族の中では男も女も平等の権利を持っていた。つまり男も女も等しい選挙権と被選挙権とを持っていたし、女の酋長というものも、文献の中に多勢現われている。この時代は母・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ 医師が来て、三右衛門に手当をした。 親族が駆け附けた。蠣殻町の中邸から来たのは、三右衛門の女房と、伜宇平とである。宇平は十九歳になっている。宇平の姉りよは細川長門守興建の奥に勤めていたので、豊島町の細川邸から来た。当年二十二歳であ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・檀家であった元小倉藩の士族が大方豊津へ遷ってしまったので、廃寺のようになったのであった。辻堂を大きくしたようなこの寺の本堂の壁に、新聞反古を張って、この坊さんが近頃住まっているのである。 主人は嬉しそうな顔をして、下女を呼んで言い附けた・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫