・・・三田君を偲ぶために、何かよい御計画でもありましたならば、お知らせ下さい。」というような意味の事を書いて出したように記憶している。 二、三日して山岸さんから御返事が来た。山岸さんも、三田君のアッツ玉砕は、あの日の新聞ではじめて知った様子で・・・ 太宰治 「散華」
・・・もともと戦いを好まぬ国民が、いまは忍ぶべからずと立ち上った時、こいつは強い。向うところ敵なしじゃないか。君たちも、も少し、文学ぎらいになったらどうだね。真に新しいものは、そんなところから生れて来るのですよ。 まあ私の文学論は、それだけで・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・もう、いやだ。忍ぶことにも限度が在る。とても、この上、忍べなかった。笠井さんは、だめな男である。「やあ、八が岳だ。やつがたけだ。」 うしろの一団から、れいの大きい声が起って、「すげえなあ。」「荘厳ね。」と、その一団の青年、少・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・廊下で、忍ぶ足音が聞える。しかし、それも空耳であった。鶴は呼吸が苦しく、大声挙げて泣きたいと思ったが、一滴の涙も出なかった。ただ、胸の鼓動が異様に劇しく、脚が抜けるようにだるかった。鶴は寝ころび、右腕を両眼に強く押しあて、泣く真似をした。そ・・・ 太宰治 「犯人」
・・・に念が入っていると見えてまだ帰らない。先生は昔の事を考えながら、夕飯時の空腹をまぎらすためか、火の消えかかった置炬燵に頬杖をつき口から出まかせに、変り行く末の世ながら「いにしへ」を、「いま」に忍ぶの恋草や、誰れに摘めとか繰返し、うたふ隣・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・姻戚の家に冠婚葬祭の事ある場合、これに参与するくらいの事は浮世の義理と心得て、わたくしもその煩累を忍ぶであろうが、然らざる場合の交際は大抵厭うべきものばかりである。 行きたくない劇場に誘い出されて、看たくない演劇を看たり、行きたくない別・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・それが洗い晒されて昔を忍ぶ染色は見るかげなく剥げていた。青いものは川端の柳ばかり、蝉の声をも珍しがる下町の女の身の末が、汽車でも電車でも出入りの不便な貧しい場末の町に引込んで秋雨を聴きつつ老い行く心はどんなであろう……何の気なしに思いつくと・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ランスロットの何の思案に沈めるかは知らず、われは昼の試合のまたあるまじき派手やかさを偲ぶ。風渡る梢もなければ馬の沓の地を鳴らす音のみ高し。――路は分れて二筋となる」「左へ切ればここまで十哩じゃ」と老人が物知り顔にいう。「ランスロット・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・我が前に物なしただ無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。この門を過ぎんとするものはいっさいの望を捨てよ。という句がどこぞで刻んではないかと思った。余はこの時すでに常態を失っている。 空濠にかけてある石橋を渡って行くと向うに一つ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・然りといえども、物事には必ずかぎりある者にて、たとい貧民が奮発するも、子を教育するがために、事実、家内の飢寒を忍ぶべからず。すなわち飢寒と教育と相対して、この界をば決して踰ゆべからざるものなり。 ゆえに今、文部省より定めたる小学校の学齢・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
出典:青空文庫