・・・沈んではいるがしゃんと張切った心持ちになって、クララは部屋の隅の聖像の前に跪いて燭火を捧げた。そして静かに身の来し方を返り見た。 幼い時からクララにはいい現わし得ない不満足が心の底にあった。いらいらした気分はよく髪の結い方、衣服の着せ方・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・くとも蔵前の成美の末葉ででもあろうと思うと、違う。……田畝に狐火が灯れた時分である。太郎稲荷の眷属が悪戯をするのが、毎晩のようで、暗い垣から「伊作、伊作」「おい、お祖母さん」くしゃんと嚔をして消える。「畜生め、またうせた。」これに悩まされた・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・「真黒な円い天窓を露出でな、耳元を離した処へ、その赤合羽の袖を鯱子張らせる形に、大な肱を、ト鍵形に曲げて、柄の短い赤い旗を飜々と見せて、しゃんと構えて、ずんずん通る。…… 旗は真赤に宙を煽つ。 まさかとは思う……ことにその言った・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・五十の上だが、しゃんとした足つきで、石いしころみちを向うへ切って、樗の花が咲重りつつ、屋根ぐるみ引傾いた、日陰の小屋へ潜るように入った、が、今度は経肩衣を引脱いで、小脇に絞って取って返した。「対手も丁度可かったで。」一人で駕籠を下すのが、腰・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・ と、もう縞の小袖をしゃんと端折って、昼夜帯を引掛に結んだが、紅い扱帯のどこかが漆の葉のように、紅にちらめくばかり。もの静な、ひとがらな、おっとりした、顔も下ぶくれで、一重瞼の、すっと涼しいのが、ぽっと湯に染まって、眉の優しい、容子のい・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 唾と泡が噛合うように、ぶつぶつと一言いったが、ふ、ふふん、と鼻の音をさせて、膝の下へ組手のまま、腰を振って、さあ、たしか鍋の列のちょうど土間へ曲角の、火の気の赫と強い、その鍋の前へ立つと、しゃんと伸びて、肱を張り、湯気のむらむらと立つ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・何故もっとしゃんと、――この頃は相当年輩の人だって随分お洒落で、太いセルロイドの縁を青年くさく皺の上に見せているのに、――まるでその人と来たら、わざとではないかとはじめ思った、思いたかったくらい、今にもずり落ちそうな、ついでに水洟も落ちそう・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・これは海の中に自から水の流れる筋がありますから、その筋をたよって舟を潮なりにちゃんと止めまして、お客は将監――つまり舟の頭の方からの第一の室――に向うを向いてしゃんと坐って、そうして釣竿を右と左と八の字のように振込んで、舟首近く、甲板のさき・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・が、素捷い身のこなし、足の踏立変えの巧さで、二三歩泳ぎはしたが、しゃんと踏止まった。「エーッ」 今度は自分の不覚を自分で叱る意で毒喝したのである。余程肚の中がむしゃくしゃして居て、悪気が噴出したがっていたのであろう。 叱咤したと・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・母はなかなかきかない気象の婦人であったから、存命中は婿養子との折合も好くなく、とかく家庭に風波の絶間もなかったが、それだけ一方にはしゃんとしたところを持っていた。お三輪が娘時分に朝寝の枕もとへ来て、一声で床を離れなかったら、さっさと蒲団を片・・・ 島崎藤村 「食堂」
出典:青空文庫