・・・去年の秋はこんなにゆっくり秋色をながめる心のいとまがなかったけれども、今年は東の窓や西の窓をあけ、さては北側の動坂方面を眺めたりして、動坂の家に屋根をおおうて欅の木があったことをも思い出します。夜中に落葉の音が聞えます。輝チャンに送る毛糸が・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 昭和十四年には、その春小学校を卒業した子供たちの三九パーセントがそれぞれ就職している。九十二万五千九百五十五人という少年少女が、労働の給源となった。それでさえ、求人の四割を充しただけで、公の職業紹介によらない斡旋屋は、小学生一人につい・・・ 宮本百合子 「国民学校への過程」
・・・今は不況時代で就職は難しいと一般に考えられていますが、しかし、誠意をもって、たましいを打ちこんで自分の職務に尽そうとしている人は少ない。 ですから、職を求める人がそこらにほうきではきよせる程あっても、要するに、誠意を認められている人はや・・・ 宮本百合子 「「市の無料産院」と「身の上相談」」
・・・千鶴子は、どこかぎこちなく修飾した言葉つきでそれ等を訴えながら、細面の顔をうつむけ、神経的に爪先や手を動した。「私――どんな仕事をしてもいいと決心しているんですけれど――」 はる子は、「ふうむ」とうなった。「今急に心当り・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・入営まで職についていれば除隊後新たに就職するまで失業手当を支給される。親が例えば選挙権をもたないでも息子が赤衛兵ならば集団農場に加入を許される。 手風琴を鳴らして赤衛兵が腰かけている窓の下の掘割を、ボートが一艘漕いで来た。ボートの中には・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・大学というところを就職のための段階という風に考えている若い人も相当あって、それらの人たちは就職線に向っては互に競争者の関係におかれるのだから、そのような人間関係のなかに健全な友情の生い立とうはずもない。ただ通り一遍の学生のつき合いがあるにと・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・には農村の生活、作物に対する農民の心配と小兎との関係が、人間の側の心持から、写実的に、簡素に修飾すくなくうたわれているのが私達の注目をひく。「うぐひす」には、これまでの詩の華麗流麗な綾に代る人生行路難の暗喩がロマンティックな用語につつまれつ・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・この姿を外にして私達一般人の人生はないのであるのに、それが抹殺されて、何のためにマダム・バタアフライのサクラ・バナやゲイシャや、フジサンのみを卑屈に修飾して提供しなければならないのであろうか。人民戦線が勝利して以来、フランス出版物の輸入をき・・・ 宮本百合子 「日本の秋色」
・・・彼は真に我々を驚歎させ又沈思させる意志と忍耐力と情熱とで、その生活の波濤をよく持ちこたえ、芸術活動は修飾ない巨大な労働であることを理解し、現実の社会を夥しい小説の中に再現しようとしたのであった。 一八三一年から終焉の二年前、最後の作とな・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・このことは、文芸家協会の納金低下にも現れ、修飾のない実際問題として一部の作家のダンピング的執筆を惹き起している。新進作家の経済的困難は誰でも大っぴらに語る状態である。荒木巍氏が、最近出版された小説集の印税代りに、出版書肆からスキー道具一式を・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
出典:青空文庫