・・・プランクは物理学を人間の感覚から解放するという勇ましい喊声の主唱者であるが、一方から考えると人間の感覚を無視すると称しながら、畢竟は感覚から出発して設立した科学の方則にあまり信用を置きすぎるのではあるまいか。もし現在の科学の所得は、すでに科・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・と云ってそれを修正する。その先生の態度がいかにも無邪気で、ちっとも威張らず気取らないのが実に愉快で胸がすくようであった。 プランクの明るい感じと反対にアドルフ・シュミット教授は何となく憂鬱な感じのする人であった。いつも背広の片腕に黒い喪・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・それが量的に一部は確定され一部は修正されるのにはやはりかなりに長い月日を要するのである。 もちろん質的の思いつきだけでは何にもならないことは自明的であるが、またこれなしには何も生まれないこともより多く自明的である。西洋の学界ではこの思い・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・その頃の友人の中には George Darwin も居たが、違った方面の友では Arthur Balfour すなわち後の首相バルフォーア卿と親交を結んだ。これが彼の生涯に大きな影響をすることになったのである。 一八六七年の八月に始めて・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・そうしてみた後にわれわれは、事によると、せっかくのその修正の成果が意外にも単調一律なよそ行きの美句の退屈なる連鎖になりおおせたことを発見して茫然自失するようなことになりはしないか。 連句と音楽とのいろいろな並行性を考えるときに、いつも私・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 薄髯の二重廻が殊勝らしく席を譲った。「どうもありがとう……。」 しかし腰をかけたのは母らしい半白の婆であった。若い女は丈伸をするほど手を延ばして吊革を握締める。その袖口からどうかすると脇の下まで見え透きそうになるのを、頻と気に・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・看護婦がまた殊勝な女で小さい声で一度か二度呼ばれると快よい優しい「はい」と云う受け答えをして、すぐ起きた。そうして患者のために何かしている様子であった。 ある日回診の番が隣へ廻ってきたとき、いつもよりはだいぶ手間がかかると思っていると、・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・ その後、宝暦明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川甫周、杉田いさい等起り、専精してもって和蘭の学に志し、相ともに切磋し、おのおの得るところありといえども、洋学草昧の世なれば、書籍はなはだ乏しく、かつ、これを学・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・「殊勝なお心掛けじゃ。それなればこそ、たとえ脚をば折られても、二度と父母の処へも戻ったのじゃ。なれども健かな二本の脚を、何面白いこともないに、捩って折って放すとは、何という浅間しい人間の心じゃ。」「放されましても二本の脚を折られてど・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・まずさしあたり、日本の首相吉田が、再開の国会において、一般施政方針の演説もしないで、日本のタフト・ハートレー法を通過させようとしていることは、妙だ、ということである。政治一般の方針を示さず、検討せず、どうして公務員法案だけは通してよい法案で・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
出典:青空文庫