・・・から幾度となく朝鮮や支那やペルシアやインドや、それからおそらくはヘブライやアラビアやギリシアの色々の文化が色々の形のチューインガムとなって輸入され流行したらしいのであるが、それらが皆いつの間にか綺麗に消化されてしまって固有文化の栄養となった・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・ 二 地図をたどる 暑い汽車に乗って遠方へ出かけ、わざわざ不便で窮屈な間に合せの生活を求めに行くよりも、馴れた自分の家にゆっくり落着いて心とからだの安静を保つのが自分にはいちばん涼しい銷夏法である。 日中の暑い盛りにはや・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ 六 大家は大家で小家は小家、そして中家は中家で世紀はめぐる。鯛の頭に孔雀の尻尾。動物園には象が居るよ。植物園は涼しいね。マルクスが何と云っても絵画は絵画で科学は科学です。ヴォアラ、ネスパ、セッサ、ムシュー、・・・ 寺田寅彦 「二科狂想行進曲」
・・・機関車がすさまじい音をして小家の向うを出て来た。浅草へ行く積りであったがせっかく根岸で味おうた清閑の情を軽業の太鼓御賽銭の音に汚すが厭になったから山下まで来ると急いで鉄道馬車に飛乗って京橋まで窮屈な目にあって、向うに坐った金縁眼鏡隣に坐った・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・ 俳諧は截断の芸術であることは生花の芸術と同様である。また岡倉氏が「茶の本」の中に「茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わす事をはばかるようなものをほのめかす術である」と言っているのも同じことで、畢竟は前記の風雅の道に立った・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・近ごろの東京で冬期かなりの烈風の日に発火してもいっこうに大火にならないのは消火着手の迅速なことによるらしい。しかし現在の東京でもなんらか「異常な事情」のためにほんの少しばかり消防が手おくれになって、そのために誤ってある程度以上に火流の前線を・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ごく古い消火山と新しい活火山との中間物といったような気のする山である。形態が火山のようで、しかも大部分植物で蔽われている。しかしその植物界の「社会状態」が火山でない山とはだいぶ様子が違っているらしく見える。植物社会学者にでもこれに関する詳し・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・色彩や形態に関するあらゆる抽象的な概念や言葉を標準にして比較すれば造花と生花の外形上の区別は非常に困難な不得要領なものになってしまう。「一方は死んでいるが他方は生きている」という人があるかもしれない。しかしそれはただ一つの疑問を他の言葉で置・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・そうしてまたこのモンテーという言葉自身が暗示するように、たとえば日本の生花の芸術やまた造庭の芸術でも、やはりいろいろのものを取り合わせ、付け合わせ、モンタージュを行なって、そうしてそこに新しい世界を創造するのであって、その芸術の技法には相生・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・当時亮の家には腸チブスがはいって来て彼の兄や祖母や叔父が相次いで床についていたので、彼の母はその生家、すなわち私の家に来て産褥についた。姉の寝ていた枕もとのすすけた襖に、巌と竹を描いた墨絵の張りつけてあった事だけが、今でもはっきり頭に残って・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
出典:青空文庫