・・・堀割は以前のよりもずッと広く、荷船の往来も忙しく見えたが、道路は建て込んだ小家と小売店の松かざりに、築地の通りよりも狭く貧しげに見え、人が何という事もなく入り乱れて、ぞろぞろ歩いている。坂本公園前に停車すると、それなり如何ほど待っていても更・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・夕陽は堤防の上下一面の枯草や枯蘆の深みへ差込み、いささかなる溜水の所在をも明に照し出すのみか、橋をわたる車と人と欄干の影とを、橋板の面に描き出す。風は沈静して、高い枯草の間から小禽の群が鋭い声を放ちながら、礫を打つようにぱっと散っては消える・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・むかし土手の下にささやかな門をひかえた長命寺の堂宇も今はセメント造の小家となり、境内の石碑は一ツ残らず取除かれてしまい、牛の御前の社殿は言問橋の袂に移されて人の目にはつかない。かくの如く向嶋の土手とその下にあった建物や人家が取払われて、その・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・雲如は江戸の商家に生れたが初文章を長野豊山に学び、後に詩を梁川星巌に学び、家産を蕩尽した後一生を旅寓に送った奇人である。晩年京師に留り遂にその地に終った。雲如の一生は寛政詩学の四大家中に数えられた柏木如亭に酷似している。如亭も江戸の人で生涯・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・三隊互ニ循環シテ上下ス。サレバ客ノ此楼ニ登ツテ酔ヲ買ハント欲スルモノ、若シ特ニ某隊中ノ阿嬌第何番ノ艶語ヲ聞カンコトヲ冀フヤ、先阿嬌所属ノ一隊ノ部署ヲ窺ヒ而シテ後其ノ席ニ就カザル可カラズ。然ラザレバ徒ニ纏頭ヲ他隊ノ婢ニ投ジテ而モ終宵阿嬌ノ玉顔・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・丁度道の片側に汚い長屋建の小家のつづきはじめたのを見て、その方の小路へ曲ると、忽ち電車の線路に行当った。通りがかりの人に道を尋ねると、左へ行けばやがて境川、右へ行けば直ぐに稲荷前の停留場へ出るのだというのである。 わたくしはこの辺の地理・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ 漢土には白雨を詠じたる詩にして人口に膾炙するもの東坡が望湖楼酔書を始め唐韓かんあくが夏夜雨、清呉錫麒が澄懐園消夏襍詩なぞその類尠からず。彼我風土の光景互に相似たるを知るに足る。 わが断腸亭奴僕次第に去り園丁来る事また稀なれば、庭樹・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・正月は一年中で日の最も短い寒の中の事で、両国から船に乗り新大橋で上り、六間堀の横町へ来かかる頃には、立迷う夕靄に水辺の町はわけても日の暮れやすく、道端の小家には灯がつき、路地の中からは干物の匂が湧き出で、木橋をわたる人の下駄の音が、場末の町・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・夜と云うむやみに大きな黒い者が、歩行いても立っても上下四方から閉じ込めていて、その中に余と云う形体を溶かし込まぬと承知せぬぞと逼るように感ぜらるる。余は元来呑気なだけに正直なところ、功名心には冷淡な男である。死ぬとしても別に思い置く事はない・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・したがって上下数千年に渉って抽象的の工夫を費やさねばならぬ。右から見ている人と左から眺めている人との関係を同じ平面にあつめて比較せねばならぬ。昔しの人の述作した精神と、今の人の支配を受くる潮流とを地図のように指し示さねばならぬ。要するに一人・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
出典:青空文庫