・・・中棚鉱泉の附近は例の別荘へ通う隠れた小径から対岸の村落まで先生の近作に入っていた。その年に成るまで真実に落着く場所も見当らなかったような先生の一生は、漢詩風の詞で、その中に言い表してあった。 その晩、高瀬は隣の屋敷の方へ行って、一時借り・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・池と花園との間の細い小径へ出ると、「かくれみの」の樹の葉が活々と茂り合っていて、草の上に落ちた影は殊に深い緑色に見えた。日に萎れたような薔薇の息は風に送られて匂って来る。それを嗅ぐと、急に原は金沢の空を思出した。畠を作ったり、鶏を飼ったりし・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・けれども同時にその源が神秘なものでも荘厳なものでもなくなって、第一義真理の魅力を失い、崇拝にも憧憬にも当たらなくなってしまう。四 知識で押して行けば普通道徳が一の方便になるとともに、その根柢に自己の生を愛するという積極的な目・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・われは池畔の熊笹のうえに腰をおろし、背を樫の古木の根株にもたせ、両脚をながながと前方になげだした。小径をへだてて大小凸凹の岩がならび、そのかげからひろびろと池がひろがっている。曇天の下の池の面は白く光り、小波の皺をくすぐったげに畳んでいた。・・・ 太宰治 「逆行」
・・・こう思った渠は一種の恐怖と憧憬とを覚えた。戦友は戦っている。日本帝国のために血汐を流している。 修羅の巷が想像される。炸弾の壮観も眼前に浮かぶ。けれど七、八里を隔てたこの満洲の野は、さびしい秋風が夕日を吹いているばかり、大軍の潮のごとく・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・三 この男はどこから来るかと言うと、千駄谷の田畝を越して、櫟の並木の向こうを通って、新建ちのりっぱな邸宅の門をつらねている間を抜けて、牛の鳴き声の聞こえる牧場、樫の大樹に連なっている小径――その向こうをだらだらと下った丘陵の・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 私は、森の中を縫う、荒れ果てた小径を、あてもなく彷徨い歩く。私と並んで、マリアナ・ミハイロウナが歩いている。 二人は黙って歩いている。しかし、二人の胸の中に行き交う想いは、ヴァイオリンの音になって、高く低く聞こえている。その音は、・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・ 彼はまた短歌や俳諧を論じて「フレーセオロジーに置き換えられた象形文字」であると言い、二三の俳句の作例を引いてその構成がモンタージュ構成であると言っている。 私はかつて「思想」や「渋柿」誌上で俳諧連句の構成が映画のモンタージュ的構成・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・もなんらの事件を示さず、ただこの海産動物につながる連想の活動を刺激することによって「憧憬のかすみの中に浮揺する風景や、痛ましく取り止めのつかない、いろいろのエロチックな幻影や、片影しか認められないさまざまの形態の珍しい万華鏡の戯れやが、不合・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・それにはもう少し誰にも分かりやすい言葉で誰の頭にもぴんと響くようなものを捕えて来るのが捷径ではないかという気がしますが如何でしょうか。 思いつくままを書きました。門外漢の妄語として御聞き捨てを願います。・・・ 寺田寅彦 「御返事(石原純君へ)」
出典:青空文庫