・・・その隣の家で女たちの賑やかな話声や笑声がしきりにしていた。「おつるさん、おつるさん」こわれた器械からでも出るような、不愉快なその声がしきりにやっていた。 道太は初め隣に気狂いでもいるのかと思ったが、九官鳥らしかった。枕もとを見ると、・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・遊人嘔唖歌吹シ遅遅タル春日興ヲ追ヒ歓ヲ尽シテ、惟夕照ノ西ニ没シ鐘声ノ暮ヲ報ズルヲ恨ムノミ。」となしている。 桜花は上野の山内のみならず其の隣接する谷中の諸寺院をはじめ、根津権現の社地にも古来都人の眺賞した名木が多くある。斎藤月岑の東都歳・・・ 永井荷風 「上野」
本月の「趣味」に田山花袋君が小生に関してこんな事を云われた。――「夏目漱石君はズーデルマンの『カッツェンステッヒ』を評して、そのますます序を逐うて迫り来るがごとき点をひどく感服しておられる。氏の近作『三四郎』はこの筆法で往・・・ 夏目漱石 「田山花袋君に答う」
・・・「拝啓学位辞退の儀は既に発令後の申出にかかる故、小生の希望通り取計らいかぬる旨の御返事を領し、再応の御答を致します。「小生は学位授与の御通知に接したる故に、辞退の儀を申し出でたのであります。それより以前に辞退する必要もなく、また辞退・・・ 夏目漱石 「博士問題の成行」
・・・この姉の経歴談も聞たが長くなるから抜きにして、ちょっと小生の気に入らない点を列挙するならば、第一生意気だ、第二知ったかぶりをする、第三つまらない英語を使ってあなたはこの字を知っておいでですかと聞く事がある。一々勘定すれば際限がない。せんだっ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ そもそも海を観る者は河を恐れず、大砲を聞く者は鐘声に驚かず、感応の習慣によって然るものなり。人の心事とその喜憂栄辱との関係もまた斯のごとし。喜憂栄辱は常に心事に従て変化するものにして、その大に変ずるに至ては、昨日の栄として喜びしものも・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・こう云ってしまって、下女は笑声を洩した。 オオビュルナンははっと思って、さっき中庭を通って町へ出た女の事を思い出した。「あれがマドレエヌだったのか。」この独言が自分の耳に這入って、オオビュルナンはようよう我に帰った。そして怒気を帯びて下・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 拍手も笑声も起りました。私たちの方から若い背広の青年が立って行きました。「あの人は私は知ってますよ。ニュウヨウクで二三遍話したんです。大学生です。」 その青年は少し激昂した風で演説し始めました。「ご質問に対してできるだけ簡・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・目ざめるとすぐ枕元の地獄の絵を見て女はねむたげな様子もなくさえた笑声を家中にひびかせた。 日暮方、男は又御龍の玄関の前に立った。せまい一つぼのたたきの上には見なれない男下駄がぬぎっぱなしになって居た。男はフッと自分がこの上なくいやに思っ・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・どっという笑声や喝采。あとから、あとから。ちゃんと門が開き切った時分には、恐らく誰一人往来に立って待ってはいないだろう。 入ってしまえばもう安心し、砂利の上で肱を張り張り歩いて左の方に行く。―― 女の下駄箱は正面の左手にあり、男のは・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
出典:青空文庫