・・・別にそんなに変っていなかったが、約一年目に出てきたシャバは、矢張り知らずに彼を興奮させていたのだろう。 これは、田口の話である。別に小説と云うべきものでもない。 ズロースを忘れない娘さん S署から「たらい廻わし」・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・方がいいのだよと彼を抑えこれを揚ぐる画策縦横大英雄も善知識も煎じ詰めれば女あっての後なりこれを聞いてアラ姉さんとお定まりのように打ち消す小春よりも俊雄はぽッと顔赧らめ男らしくなき薄紅葉とかようの場合に小説家が紅葉の恩沢に浴するそれ幾ばく、着・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・おげんはまだ心も柔く物にも感じ易い若い娘の頃に馬琴の小説本で読み、北斎のさしえで見た伏姫の物語の記憶を辿って、それをあの奥様に結びつけて想像して見た。この想像から、おげんはいいあらわし難い恐怖を誘われた。「小山さん、弟さんですよ」 ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・お前さんの好きな作者の書いた小説ばかり読ませられている。お前さんの好きなお数ばかり喰べさせられている。お前さんの好きな飲みものばかり飲ませられている。わたしはこんな風にチョコレエトを飲ませられている。わたしがチョコレエトを飲むようになったの・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・ と多少、自信に似たものを得て、まえから腹案していた長い小説に取りかかった。 昨年、九月、甲州の御坂峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・やはり、小林君のことを小説にするとは言えないので、書画の話を聞くふりして出かけた。私はやさしい母親とのんきな父親とを見た。その家はじつに小林君の死の床の横たわったところであった。 この家を訪問してから、『田舎教師』における私の計画は、や・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・* ゴットフリード・ケラーとはどんな人かと思って小宮君に聞いてみると、この人はスイスチューリヒの生れで、描写の細かい、しかし抒情的気分に富んだ写実小説家だそうである。 哲学者の仕事に対する彼の態度は想像するに難くない。ロックやヒュー・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・誌上で詳説したから、ここには再び繰り返しては述べない。しかし以上略説したところからでも、映画なるものがいかに自由に時間空間を駆使し統御しうるかを想像することはできるであろう。そういう意味で、映画芸術はほんとうに時と空間をひとまとめにしたいわ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・その珍しい自叙伝中から二、三小節を引用してあるのを見ると、例えば雪の降る光景などがあたかも見るように空間的に描かれている。あるいは秋の自然界の美しい色彩が盲人が書いたとは思われないように実感的に述べてある。しかし著者はこのような光景は固より・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
・・・もしや錯覚かと思って注意してはみたが、どうも老人の唄の小節の最初の強いアクセントと同時に頸を曲げる場合が著しく多い事だけは確かであるように思われた。してみると、この歌のリズムがなんらかの関係で、直接か間接か鴉の運動神経に作用しているらしく思・・・ 寺田寅彦 「鴉と唱歌」
出典:青空文庫