・・・別に証文を取るにも及ぶまい。此の事件もこれで落着したものと思っていると、四五日過ぎてお民はまた金をねだりに来た。其の言う語と其の態度とは以前よりも一層不穏になっていたので、僕は自身に応接するよりも人を頼んだ方がよいと思って、知合の弁護士を招・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・もまた上士に対して旧怨を思わず、執念深きは婦人の心なり、すでに和するの敵に向うは男子の恥るところ、執念深きに過ぎて進退窮するの愚たるを悟り、興に乗じて深入りの無益たるを知り、双方共にさらりと前世界の古証文に墨を引き、今後期するところは士族に・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・手形、証文、受取書にこれを用いず。百人一首はもとより、草双紙その他、民間の読本には全く字を用いずして平仮名のみのものもあり。また、在町の表通りを見ても、店の看板、提灯、行灯等の印にも、絶えて片仮名を用いず。日本国中の立場・居酒屋に、めし、に・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ただ七字、あやせば笑う声聞ゆ。 足袋の真結び、これをも俳句の材料にせんとは誰か思わん。我この句を見ること熟せり、しかもいかにしてこのことを捉え得たるかは今に怪しまざるを得ず。「歯あらはに」歯にしみ入るつめたさ想いやるべし。用・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・檀林派の作者といえどもその意匠句法の滑稽突梯なるにかかわらず、またこの俗語中の俗語を用いたるものを見ず。蕉門も檀林も其嵐派も支麦派も用いるに難んじたる極端の俗語を取って平気に俳句中に入したる蕪村の技倆は実に測るべからざるものあり。しかもその・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・いかにも承知した。証文を書きなさい。」 するとみんながまるで一ぺんに叫びました。「私もどうかそうお願いいたします。どうか私もそうお願い致します。」 お医者はまるで困ったというように額に皺をよせて考えていましたが、「仕方ない。・・・ 宮沢賢治 「ひのきとひなげし」
・・・ さあそこでその頃は、牛でも馬でも、もうみんな、殺される前の日には、主人から無理に強いられて、証文にペタリと印を押したもんだ。ごくとしよりの馬などは、わざわざ蹄鉄をはずされて、ぼろぼろなみだをこぼしながら、その大きな判をぱたっと証書に押・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・ 敷金と、証文とをやり、八畳、六畳、三畳、三畳、台所、風呂場、其に十三四坪の小庭とが、我が家となったのである。 八月の二十八日から九月三日まで、Aは毎朝早くから、善さんと、新らしい家の掃除に出かけた。善さんと云うのは、出入りの請負の・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・ いろいろな意味において快く承知した年寄りは、負けてやる二俵分を現金に換算して禰宜様宮田に借用証文を作らせながら、ちょうど若い人がこれから出来ようとする気に入りの着物の模様、着て引き立った美くしい自分の姿及び驚きの目を見張るそんな着物を・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 酒井忠実は月番老中大久保加賀守忠真と三奉行とに届済の上で、二月二十六日附を以て、宇平、りよ、九郎右衛門の三人に宛てた、大目附連署の証文を渡して、敵討を許した。「早々本意を達し可立帰、若又敵人死候はば、慥なる証拠を以可申立」と云う沙・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫