・・・されば始めて逢う他郷の暮春と初夏との風景は、病後の少年に幽愁の詩趣なるものを教えずにはいなかったわけである。 病院は町はずれの小高い岡の中腹に建てられていたので、病室の窓からも寝ながらにして、曇った日にも伊豆の山影を望み、晴れた日には大・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・一日島田はかつて爾汝の友であった唖々子とわたしとを新橋の一旗亭に招き、俳人にして集書家なる洒竹大野氏をわれわれに紹介した。その時島田と大野氏とは北品川に住んでいる渋江氏が子孫の家には、なお珍書の存している事を語り、日を期してわたしにも同行を・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・われわれが漢文の教科書として『文章軌範』を読んでいた頃、翰は夙に唐宋諸家の中でも殊に王荊公の文を諳じていたが、性質驕悍にして校則を守らず、漢文の外他の学課は悉く棄てて顧ないので、試業の度ごとに落第をした結果、遂に学校でも持てあまして卒業証書・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・ 唖々子はかつて硯友社諸家の文章の疵累を指したように、当世人の好んで使用する流行語について、例えば発展、共鳴、節約、裏切る、宣伝というが如き、その出所の多くは西洋語の翻訳に基くものにして、吾人の耳に甚快らぬ響を伝うるものを列挙しはじめた・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ 二三年前初夏の一日、神田五軒町通の一古書肆の店頭を過ぎて、偶然高橋松莚、池田大伍の二君に邂逅した。わたくしは行先の当てもなく漫然散策していた途上であった。二君はこの日午前より劇場に在って演劇の稽古の思いの外早く終ったところから、相携え・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・およそ水村の風光初夏の時節に至って最佳なる所以のものは、依々たる楊柳と萋々たる蒹葭とのあるがためであろう。往時隅田川の沿岸に柳と蘆との多く繁茂していたことは今日の江戸川や中川と異る所がなかった。啻に河岸のみならず灌田のために穿った溝渠の中、・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・詩人には伊藤聴秋、瓜生梅村、関根癡堂がある。書家には西川春洞、篆刻家には浜村大、画家には小林永濯がある。俳諧師には其角堂永機、小説家には饗庭篁村、幸田露伴、好事家には淡島寒月がある。皆一時の名士である。しかし明治四十三年八月初旬の水害以後永・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・先生が大学の図書館で書架の中からポーの全集を引きおろしたのを見たのは昔の事である。先生はポーもホフマンも好きなのだと云う。この夕その烏の事を思い出して、あの烏はどうなりましたと聞いたら、あれは死にました、凍えて死にました。寒い晩に庭の木の枝・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
これは楽友館の給仕が話したのを誰かが書いたものらしい、而もそれは大分以前のことであろう。 初夏の或晩、楽友館の広間に、皓々と電燈がかがやいて、多くの人々が集った。この頃よくある停年教授の慰労会が催されるの・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
去年の春、我が慶応義塾を開きしに、有志の輩、四方より集り、数月を出でずして、塾舎百余人の定員すでに満ちて、今年初夏のころよりは、通いに来学せんとする人までも、講堂の狭きゆえをもって断りおれり。よってこのたびはまた、社中申合・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
出典:青空文庫