・・・丁度物干竿と一しょに蛞蝓を掴んだような心持である。 この時までに五六人の同僚が次第に出て来て、いつか机が皆塞がっていた。八時の鐸が鳴って暫くすると、課長が出た。 木村は課長がまだ腰を掛けないうちに、赤札の附いた書類を持って行って、少・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・この男にこの場所で小さい女中は心安くなって、半日一しょに暮らした。さて午後十一時になっても主人の家には帰らないで、とうとう町なかの公園で夜を明かしてしまった。女中は翌日になって考えてみたが、どうもお上さんに顔を合せることが出来なくなった。そ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・そうでしょう、読者諸君。 その内に日は名残りなくほとんど暮れかかッて来て雲の色も薄暗く、野末もだんだんと霞んでしまうころ、変な雲が富士の裾へ腰を掛けて来た。原の広さ、天の大きさ、風の強さ、草の高さ、いずれも恐ろしいほどに苛めしくて、人家・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・「馬車はいつ出るのでござんしょうな。悴が死にかかっていますので、早よ街へ行かんと死に目に逢えまい思いましてな。」「そりゃいかん。」「もう出るのでござんしょうな、もう出るって、さっきいわしゃったがの。」「さアて、何しておるやら・・・ 横光利一 「蠅」
・・・年越の晩には、極まって来ますが、その外の晩にも、冬になるとちょいちょい来て一しょにトッジイを飲んで話して行きます。」「冬になったら、この辺は早く暗くなるだろうね。」「三時半位です。」「早く寝るかね。」「いいえ。随分長く起きて・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・フィンクはその影がどこへ落ち着くか見定めようと、一しょう懸命に見詰めている。しかし影は声もなく真の闇の中に消えてしまう。そしてどこかで長椅子がぎいぎいいう。旅人が腰を据えたのであろう。 部屋の中はまたひっそりする。その時フィンクは疲れて・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫