・・・中隊長は、前哨に送った部下の偵察隊が、××の歩哨と、馴れ/\しく話し合い、飯盒で焚いた飯を分け、相手から、粟の饅頭を貰い、全く、仲間となってしまっているのを発見して、真紅になった。「何をしているか!」 中隊長は、いきなり一喝した。・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・この頃、私にも少しずつ、芸術家の辛苦というものが、わかりかけてまいりました。と、そんなことをぬかすので、おれも、ははあ、これは何かあるな、と感づき、何食わぬ顔して、それに同意し、今朝、旅行に出たふりしてまた引返し、家の中庭の隅にしゃがんで看・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・だから、あの人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません。思いませんけれども、それならば、たまには私にも、優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に意地・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・短い期間ではあったが、男は殉教者のそれとかわらぬ辛苦を嘗めた。風にさからい、浪に打たれ、雨を冒した。この艱難だけは、信頼できる。けれども、もともと絶望の行為である。おれは滅亡の民であるという思念一つが動かなかった。早く死にたい願望一つである・・・ 太宰治 「花燭」
・・・しかし、それから五年経ち、大戦の辛苦を嘗めるに及んで、あの「東京八景」だけでは、何か足りないような気がして、こんどは一つ方向をかえ、私がこれまで東京に於いて発表して来た作品を主軸にして、私という津軽の土百姓の血統の男が、どんな都会生活をして・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・胸の真紅のカーネーションも目立つ。「つくる」ということが、無かったら、もっともっとこの先生すきなのだけれど。あまりにポオズをつけすぎる。どこか、無理がある。あれじゃあ疲れることだろう。性格も、どこか難解なところがある。わからないところをたく・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・いよいよ秋に入りまして郷里は、さいわいに黄金色の稲田と真紅な苹果に四年連続の豊作を迎えようとしています。此の際、本県出身の芸術方面に関係ある皆様にお集り願って、一夜ゆっくり東京のこと、郷里の津軽、南部のことなどお話ねがいたいと存じますので御・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・マラルメやヴェルレエヌの関係していた La Basoche, ヴェルハアレン一派の La Jeune Belgique, そのほか La Semaine, Le Type. いずれも異国の芸苑に咲いた真紅の薔薇。むかしの若き芸術家たちが世界・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・山頂近く、紺青と紫とに染められた岩の割目を綴るわずかの紅葉はもう真紅に色づいているが、少し下がった水準ではまだようやく色づき初めたほどであり、ずっと下の方はただ深浅さまざまの緑に染め分けられ、ほんのところどころに何かの黄葉を点綴しているだけ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・そうして宅へ帰ったら瓦が二、三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭はおよそ天下に何事もなかったように真紅の葉を紺碧の空の光の下に耀かしていたことであった。しかしその時刻にはもうあの恐ろしい前代未聞の火事の渦巻が下町一帯に拡がりつつあ・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
出典:青空文庫