・・・が、何しろ当人が口癖のようにここへ出す出すと云っていたものですから、遺族が審査員へ頼んで、やっとこの隅へ懸ける事になったのです。」「遺族? じゃこの画を描いた人は死んでいるのですか。」「死んでいるのです。もっとも生きている中から、死・・・ 芥川竜之介 「沼地」
・・・画会では権威だと聞く、厳しい審査員でありながら、厚ぼったくなく、もの柔にすらりとしたのが、小丼のもずくの傍で、海を飛出し、銀に光る、鰹の皮づくりで、静に猪口を傾けながら、「おや、もう帰る。」信也氏が早急に席を出た時、つまの蓼を真青に噛ん・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・生命がけで、描いて文部省の展覧会で、平つくばって、可いか、洋服の膝を膨らまして膝行ってな、いい図じゃないぜ、審査所のお玄関で頓首再拝と仕った奴を、紙鉄砲で、ポンと撥ねられて、ぎゃふんとまいった。それでさえ怒り得ないで、悄々と杖に縋って背負っ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・夫が今日では大学でも純粋文学を教授し、文部省には文芸審査委員が出来て一年中の傑作が国家の名を以て選奨せらるゝようになった。文部省の文芸審査に就て兎角の議論をする人があるが政府は万能で無いから政府の行う処必ずしも正鵠では無い。且文芸上の作品の・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ コンクールを受けた連中はいずれもうやうやしく審査員に頭を下げ、そして両足をそろえて、つつましく弾くのだったが、寿子はつんとぎこちない頭の下げ方をして、そしていきなり股をひらいて、大きく踏ん張ると、身体を揺り動かしながら、弾き出すのだっ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・これ老生の近辺に住む老画伯にして、三十年続けて官展に油画を搬入し、三十年続けて落選し、しかもその官展に反旗をひるがえす程の意気もなく、鞠躬如として審査の諸先生に松蕈などを贈るとかの噂も有之、その甲斐もなく三十年連続の落選という何の取りどころ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・彼のような抽象に長じた理論家が極めて卑近な発明の審査をやっていたという事は面白い事である。彼自身の言葉によるとこの職務にも相当な興味をもって働いていたようである。 一九〇五年になって彼は永い間の研究の結果を発表し始めた。頭の中にいっぱい・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ただ、これから学位を取ろうとしている少数の若い学者と、それらの人々の学位論文を審査すべき位置にある少数の先輩学者との耳には一つの警鐘の音のように聞こえる言葉である。 しかし、この流行言葉を口にする人の中で、本当に学位濫造の事実があるかな・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・それにしても、この四百回の会食を遂げたという事実の真実性を証明するための審査ははなはだめんどうであったろうと想像される。 シガー一本をできるだけゆっくり時間をかけて吸うという競技で優勝の栄冠を獲たのはドイツ人何某であった。すなわち、五時・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・ 政党大臣や大学教授や官展無審査員ならば、ところてんのようにお代わりはいつでもできる。しかしI氏くらいの一流の俳優はそう容易には補充できない。 そんな事を考えながら、自分もエスカレーターに乗ってM百貨店の出口に突き出されたのであった・・・ 寺田寅彦 「試験管」
出典:青空文庫