・・・ そこでキリスト教的心情の強く現われた芸術が、この時代の心から生まれて来るだろうと考えられる。十九世紀にはやった物質的な社会主義の代わりに、キリスト教的平民主義が力を得、トルストイやドストイェフスキイの蒔いて行った種が勢いよく育って行く・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
・・・しかもそれは悪と呼ばれるゆえに一層味わいが深い。真情、誠実、生の貴さ、緊張した意志、運命の愛、――これらは彼らが唾棄して惜しまない所である。個性が何だ、自己が何だ、永遠の生が何だ、それらはふくよかな女の乳房一つにも価しない。乾物のような思想・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・それとともに現在の社会組織や教育などというものが、知らず知らずの間にどれだけ人と人との間を距てているかということにも気づきました。心情さえ謙遜になっていれば、形は必ずしも問うに及ばぬと考えていた彼は、ここで形の意味をしみじみと感じました。・・・ 和辻哲郎 「土下座」
・・・先生の重んずるのはただ道徳的心情である。形式習慣にむやみと反抗するのではなく、ただ道徳的心情よりいでてのみ動こうとしたのである。これを奇行と呼び偏屈と嘲るのは、世間の道義的水準の低さを思わせるばかりで、世間の名誉にはならない。 先生の博・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・悲しんだとて還っては来ないのだから、あきらめよ、忘れよといわれるが、しかし忘れ去るような不人情なことはしたくないというのが親の真情である。悲しみは苦痛であるに相違ないが、しかし親はこの苦痛を去ることを欲しない。折にふれて思い出しては悲しむの・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
・・・ 日本民族が頭高くささぐる信条は命を毫毛の軽きに比して君の馬前に討ち死にする「忠君」である。武士道の第一条件、二千五百年の青史はあらゆるページにこの華麗なる波紋の跡を残す。君は絶対の権威を持ってその前には人間の平等なく思想の自由がない。・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫