・・・とん、安というこの一字、いったい何を書こうとしていたのか、三つになったばかりの早春死んだ女児の、みめ麗わしく心もやさしく、釣糸噛み切って逃げたなまずは呑舟 これでもか、これでもか、と豚に真珠の慈雨あたえる等の事は、右の頬ならば、左の・・・ 太宰治 「創生記」
・・・鳶はひとしきり時雨に悩むがやがて風収まって羽づくろいする。その姿を哀れと見るのは、すなわち日本人の日常生活のあわれを一羽の鳥に投影してしばらくそれを客観する、そこに始めて俳諧が生まれるのである。旅には渡渉する川が横たわり、住には小獣の迫害が・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・出る杭を打たうとしたりや柳かな酒を煮る家の女房ちょとほれた絵団扇のそれも清十郎にお夏かな蚊帳の内に螢放してアヽ楽や杜若べたりと鳶のたれてける薬喰隣の亭主箸持参化さうな傘かす寺の時雨かな 後世一茶の俗語を用いた・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・正月が来たような、去年と変らぬ川瀬の音で来ぬような一種漠然とした心持に、天気が時雨て来た。 コートを着、宿の白革鼻緒の貸し下駄を穿いて、坂をのぼり、村なかをぶらぶら歩いた。轍の跡なりに凍った街道が薄ら白く延びて人影もない。軒に国旗がヒラ・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
長谷川時雨さんの御生涯を思うと、私たちは、やっぱり何よりも女性の多難な一生ということを考えずには居られなくて、最後までその道の上に居られた姿を、深く悼む心持です。 明治の濃い匂りの裡に成長して、大正、昭和と今日までの激・・・ 宮本百合子 「積極な一生」
・・・三四日後の朝日に谷川徹三氏の書いた年頭神宮詣りの記事は一般にその膝のバネのもろさで感銘を与え、時雨女史も賢い形で一応の挨拶を行った。「人民文庫」の解散は、武田麟太郎氏としては三月号をちゃんと終刊号として行いたいらしかった。人民社中の日暦・・・ 宮本百合子 「一九三七年十二月二十七日の警保局図書課のジャーナリストとの懇談会の結果」
芭蕉の句で忘られないのがいくつかある。あらたうと青葉若葉の日の光いざゆかん雪見にころぶところまで霧時雨不二を見ぬ日ぞおもしろき それから又別な心の境地として、初しぐれ猿も小蓑をほ・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・ ―――――――――――――――― この秋は暖い暖いと云っているうちに、稀に降る雨がいつか時雨めいて来て、もう二三日前から、秀麿の部屋のフウベン形の瓦斯煖炉にも、小間使の雪が来て点火することになっている。 朝起き・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫