・・・元々社会があればこそ義務的の行動を余儀なくされる人間も放り出しておけばどこまでも自我本位に立脚するのは当然だから自分の好いた刺戟に精神なり身体なりを消費しようとするのは致し方もない仕儀である。もっとも好いた刺戟に反応して自由に活力を消耗する・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・もっとも当人がすでに人間であって相応に物質的嗜欲のあるのは無論だから多少世間と折合って歩調を改める事がないでもないが、まあ大体から云うと自我中心で、極く卑近の意味の道徳から云えばこれほどわがままのものはない、これほど道楽なものはないくらいで・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・すなわち自我からして道徳律を割り出そうと試みるようになっている。これが現代日本の大勢だとすればロマンチックの道徳換言すれば我が利益のすべてを犠牲に供して他のために行動せねば不徳義であると主張するようなアルトルイスチック一方の見解はどうしても・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。 自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・それがフィヒテの超越的自我である。私はフィヒテにおいて新なる実在の概念が出て来たと思う。デカルト哲学においては、自己自身によってある実体は、主語的方向への超越によって考えられたが、フィヒテにおいては、述語的方向への超越によって考えられたとい・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・その句また 尾張より東武に下る時牡丹蘂深くわけ出る蜂の名残かな 芭蕉 桃隣新宅自画自讃寒からぬ露や牡丹の花の蜜 同等のごとき、前者はただ季の景物として牡丹を用い、後者は牡丹を詠じてきわめて拙きものなり。蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・その他で、女性の自我を主張し、情熱を主張していた田村俊子はその異色のある資質にかかわらず、多作と生活破綻から、アメリカへ去る前位であった。 こういう文学の雰囲気の中に素朴な姿であらわれた「貧しき人々の群」は、少女の書いたものらしく、ロマ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・やがて無人格な三人称の私というものが発明されて、客観的な現実世界と主観的自我との間の機械的な接続器の役を負わされるようになり、作家が現実への責任をとわれる純文学から一種の通俗小説に移って行くこととなった。この時代、横光利一は、彼の心理主義の・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・些細な個人的モメントによって展開されてゆく人格形成――自我の確立と拡大、完成への過程を描いている。デュガールは、第一次ヨーロッパ大戦を終ったあとのフランスで、ファシズムの文化侵略に対する広汎な人民戦線の結成されたフランスで、主人公ジャックの・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
・・・したがって、西欧の近代文学の中軸として発展してきた一個の社会人として自立した自我の観念も、日本ではからくも夏目漱石において、不具な頂点の形を示した。リアリズムの手法としては、志賀直哉のリアリズムが、洋画史におけるセザンヌの位置に似た存在を示・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
出典:青空文庫