・・・その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにしてその一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして二十歳のときに伯父さんの家を・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 寺田はしかしそんなあたりの空気にひとり超然として、惑いも迷いもせず、朝の最初の競走から1の番号の馬ばかり買いつづけていた。挽馬場の馬の気配も見ず、予想表も持たず、ニュースも聴かず、一つの競走が済んで次の競走の馬券発売の窓口がコトリと木・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・平凡な人生を平凡な筆で正直にありのままに書くことが、作家として純粋だという考え方は、まるで文学のノスタルジアのように思われているが、自伝というものは、非凡な人間が語ってこそ興味があるので、われわれ凡人がポソポソと語って、何が面白かろう。しか・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・ ところが、嫁ぎ先の寺田屋へ着いてみると姑のお定はなにか思ってかきゅうに頭痛を触れて、祝言の席へも顔を見せない、お定は寺田屋の後妻で新郎の伊助には継母だ。けれども、よしんば生さぬ仲にせよ、男親がすでに故人である以上、誰よりもまずこの席に・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 玉造線の電車通へ出て、寺田町の方へ二人はとぼとぼ歩いて行った。 寺田町を西へ折れて、天王寺西門前を南へ行くと、阿倍野橋だ。 途中、すれ違う電車は一台もなかった。よしんばあっても、娘のそんな服装では乗れなかった。焼跡の寂しい・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ ぼくは、今月中から、自伝を覚えたままに書いて行きたいと思うのです。が、『春服』が目茶苦茶なので悲観しているのです。『春服』が立ち直る迄なりと、一つ、月々五十枚位載せて貰える、あなたの知っている同人雑誌に紹介してくれませんか。同人費は払いま・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・古くからの寺田屋などは、格式もあって、いいそうです。」「そうです。格式のある家でなければ、だめです。寺田屋へ行けばよかった。」 女中さんは、なぜだか、ひどく笑った。声をたてずに、うつむいて肩に波打たせて笑っているのである。私も、意味・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・す笑うと、とても、うらめしそうな目つきで、私の顔を穴のあくほど見つめて、ほうと溜息をつき、あなたには誠実が不足している、いかに才能が豊富でも、人間には誠実がなければ、何事に於いても成功しない、あなたは寺田まさ子という天才少女を知っていますか・・・ 太宰治 「千代女」
・・・表面には「駒込西片町十番地いノ十六 寺田寅彦殿 上根岸八十二 正岡常規」とあり、消印は「武蔵東京下谷 卅三年七月二十四日イ便」となっている。これは、夏目先生が英国へ留学を命ぜられたために熊本を引上げて上京し、奥さんのおさとの中根氏の寓居にひ・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・隣りに坐りし三十くらいの叔母様の御給仕忝しと一碗を傾くればはや厭になりぬ。寺田寅彦さんと云う方は御座らぬかとわめくボーイの濁声うるさければ黙って居けるがあまりに呼び立つる故オイ何んだと起き上がれば貴方ですかと怪訝顔なるも気の毒なり。何ぞと言・・・ 寺田寅彦 「東上記」
出典:青空文庫