・・・どうだい、僕の薬鑵から蒸気が発ッてやアしないか」「ああ、発ッてますよ。口惜しいねえ」と、吉里は西宮の腕を爪捻る。「あいた。ひどいことをするぜ。おお痛い」と、西宮は仰山らしく腕を擦る。 小万はにっこり笑ッて、「あんまりひどい目に会・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・戸にいて奥州の物を用いんとするに、飛脚を立てて報知して、先方より船便に運送すれば、到着は必ず数月の後なれども、ただその物をさえ得れば、もって便利なりとして悦びしことなれども、今日は一報の電信に応じて、蒸気船便に送れば、数日にして用を弁ずべし・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・西洋の蒸気も東洋の蒸気も、その膨脹の力は異ならず。亜米利加の人がモルヒネを多量に服して死すれば、日本人もまた、これを服して死すべし。これを物理の原則といい、この原則を究めて利用する、これを物理学という。人間万事この理に洩るるものあるべからず・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・そのうち突然自分が今に四十になると云うことに気が附いて、あんな常軌を逸した決心をしたのではあるまいか。」これはちと穿鑿に過ぎた推論である。しかしこんなのが女にありそうな心理状態だと思うと、特別の面白みがある。 ピエエル・オオビュルナンは・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・だよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎が白い蓮華の花のように波に浮んでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆や白く塗られた蒸気船の舷を通ったりなんかして昨日の気象・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・あの花の盃の中からぎらぎら光ってすきとおる蒸気が丁度水へ砂糖を溶したときのようにユラユラユラユラ空へ昇って行くでしょう。」「ええ、ええ、そうです。」「そして、そら、光が湧いているでしょう。おお、湧きあがる、湧きあがる、花の盃をあふれ・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・ゴーリキイが、はじめて、本をよむことを学んだのは、彼が十二三歳になってヴォルガ河通いの蒸汽船の皿洗い小僧になってからだった。同じ船に年配の、もののわかった船員がいて、一つの本をつめた箱をもっていた。彼は少年のゴーリキイと一緒に、自分の読み古・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・若さは、この人物のうちにあって、瑞々しいというようなものではなく、もっと熱気がつよく、動力蒸気の噴出めいている。 話しの合間合間に交えられる手振も徳田さん独特だし、その手の指には網走の厳しい幾冬かが印した凍傷の痕があるのである。大いに笑・・・ 宮本百合子 「熱き茶色」
・・・あれは関西の方からもって来られた風だそうですが、混雑の朝夕、それでなくてさえ切符切りで上気せている小さい体の婦人車掌が、停留場の呼び上げ、右オーライ、左オーライ、御無理でございましょうが御順にお膝おくり下さい、そちらにおかけになれます。等、・・・ 宮本百合子 「ありがとうございます」
・・・彼女は、真正面に目を据え、上気せ上った早口で、昨夜良人と相談して置いた転地の話を前提もなしに切り出した。 彼女のむきな調子には何か涙が滲む程切迫つまったところがあった。余程急に出立でもしなければならないのか、又はその転地が夫婦にとって余・・・ 宮本百合子 「或る日」
出典:青空文庫