・・・何のために茲に来るのかと駅夫に訊問された時の用意にと自分は見送りの入場券か品川行の切符を無益に買い込む事を辞さないのである。 再びいう日本の十年間は西洋の一世紀にも相当する。三十間堀の河岸通には昔の船宿が二、三軒残っている。自分はそ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ そこで職業上における己のため人のためと云う事は以上のように御記憶を願っておいて、話がまた後戻りをする恐れがあるかも知れないが、前申した通り人文発達の順序として職業が大変割れて細かくなると妙な結果を我々に与えるものだからその結果を一口御・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・何か不審の件があって警察へ拘引される。尋問に答えるのが不利益だと悟って、いよいよ唖の真似をする。警官もやむをえず、そのまま繋留しておくと、翌朝になって、唖は大変腹が減って来た。始めは唖だから黙って辛抱したが、とうとう堪えられなくなって、飯を・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・それを一通り調べてもまだ足らぬ所があるので、やはり上代から漕ぎ出して、順次に根気よく人文発展の流を下って来ないと、この突如たる勃興の真髄が納得出来ないという意味から、次に上代以後足利氏に至るまでを第一巻として発表されたものと思われる。そうは・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・殊に病気の時など医師に対して自から自身の容態を述ぶるの法を知らず、其尋問に答うるにも羞ずるが如く恐るゝが如くにして、病症発作の前後を錯雑し、寒温痛痒の軽重を明言する能わずして、無益に診察の時を費すのみか、其医師は遂に要領を得ずして処方に当惑・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・殖産工商の事を勉めて富国の資を大にし、学問教育の道を盛んにして人文の光を明らかにし、海陸軍の力を足して護国の備えを厚うするが如き、実際直接の要用なれども、内外人民の交際は甚だ繁忙多端にして、外国人が我が日本国の事情を詳らかにせんとするは、容・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・民警さえいねえ。訊問もなければ、宣伝もねえ。俺等んとこじゃどうだったね? このコンムーナへ徒党が押しよせたってことが伝わった時、四十露里あっちから赤軍分遣隊がやって来て呉れた」「えれエ小面倒な名前だよウ」 そう云ったのは五十九のティ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・氏はヨーロッパ文学において人文主義の時代から十九世紀の自然主義時代に至る自我の発展「社会化した私」と、自然主義が文芸思潮として移入した明治時代の日本の「要らない肥料が多すぎ」「近代市民社会は狭隘であった」中で自我を未だ自我の自覚として十分社・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 日本人が、感情的、情緒的であるという特徴は、どこから来ているのであろう。人文地理的な説明だけでは私には納得しきれない。スペインのこんにちの燃え立つ階級間の争闘を、柳沢健氏が、その民族の持っている一本気で純朴で誠実な徳性によって、惨虐性・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・ 降って十八世紀の西欧に於ける人文主義も封建の封鎖に対して人間性の明智と合理とを主張した広義のヒューマニズムの動きであった。引続く世紀に例えばトルストイによって表現されているヒューマニズムは、日本の『白樺』の精神にも流れ入って来た。言っ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫