・・・ 廻廊の縁の角あたり、雲低き柳の帳に立って、朧に神々しい姿の、翁の声に、つと打向いたまえるは、細面ただ白玉の鼻筋通り、水晶を刻んで、威のある眦。額髪、眉のかかりは、紫の薄い袖頭巾にほのめいた、が、匂はさげ髪の背に余る。――紅地金襴のさげ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・曰く、「(戊戌夏に至りては愈々その異なるを覚えしかども尚悟らず、こは眼鏡の曇りたる故ならめと謬り思ひて、俗に本玉とかいふ水晶製の眼鏡の価貴きをも厭はで此彼と多く購ひ求めて掛替々々凌ぐものから(中略、去歳庚子夏に至りては只朦々朧々として細字を・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ そこに大きなテーブルが置いてあって、水晶で造ったかと思われるようなびんには、燃えるような真っ赤なチューリップの花や、香りの高い、白いばらの花などがいけてありました。テーブルに向かって、ひげの白いじいさんが安楽いすに腰かけています。かた・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・そして、ピアノをお弾きなさるお姉さまが、すきとおるお声で、外国の歌をうたいなさるお姿は、いつもよりかいっそう神々しく見えたのであります。水晶のようなお目は星のごとく輝いて、涙が浮かんでいたのでありました。 露子は、自分の母さまや、父さま・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・ 明くる日正雄さんは、また海辺へいきますと、もう自分より先にその子供がきていまして、昨日のよりさらに美しいさんごや、紫水晶や、めのうなどを持ってきて、あげようといって、正雄さんの前にひろげたのであります。正雄さんは、昨日の晩、お父さんや・・・ 小川未明 「海の少年」
・・・あの水晶のように明るい雪解けの春の景色はなんともいえませんからね。それまで、私は、あらしや、吹雪の唄でも楽しんできいています。そして、あなたたちが、岩穴の中で、こうもりのおばあさんからきいた、不思議のおとぎばなしを教えてくだされば、私は、西・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・という小品を素材にして、小説が作られて行くべきで、日本の伝統的小説の約束は、この小説に於ける少年工の描写を過不足なき描写として推賞するが、過不足なき描写とは一体いかなるものであるか。われわれが過去の日本の文学から受けた教養は、過不足なき描写・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・それは妖婦タイプの女として、平生から彼の推賞している女だ。彼はその女と私とを突合わして、何らかの反応を検ようというつもりであったらしい。私はその天水桶へ踏みこんだ晩、どんな拍子からだったか、その女を往来へ引っぱりだして、亡者のように風々と踊・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ おそらく死に際の幻覚には目にたてて見る塵もない自分の家の前庭や、したたり集って来る苔の水が水晶のように美しい筧の水溜りが彼を悲しませたであろう。 これがこの小さな字である。 断片 二 温泉は街道から幾折れかの石・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。 何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
出典:青空文庫