・・・ 僕は葉巻を銜えたまま、舟ばたの外へ片手を下ろし、時々僕の指先に当る湘江の水勢を楽しんでいた。譚の言葉は僕の耳に唯一つづりの騒音だった。しかし彼の指さす通り、両岸の風景へ目をやるのは勿論僕にも不快ではなかった。「この三角洲は橘洲と言・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・しかしながら行けども行けども他の道に出遇いかねる淋しさや、己れの道のいずれであるべきかを定めあぐむ悲しさが、おいおいと増してきて、軌道の発見せられていない彗星の行方のような己れの行路に慟哭する迷いの深みに落ちていくのである。四・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ そこから彗星のような燈の末が、半ば開けかけた襖越、仄に玄関の畳へさす、と見ると、沓脱の三和土を間に、暗い格子戸にぴたりと附着いて、横向きに立って誂えた。」「上州のお客にはちょうど可いわね。」「嫌味を云うなよ。……でも、お前は先・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・それは恰も、彗星が出るような具合に、往々にして、見える。が、彗星なら、天文学者が既に何年目に見えると悟っているが、御連中になると、そうはゆかない。何日何時か分らぬ。且つ天の星の如く定った軌道というべきものもないから、何処で会おうかもしれない・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・天才てものは何時ドコから現われて来るか解らんもんで、まるで彗星のようなもんですナ……」と美妙は御来迎でも拝んだように話した。それから十日ほど過ぎて学海翁を尋ねると、翁からも同じ話を聴かされたが、エライ男です、エライ男ですと何遍となく繰返・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
・・・登勢も名を知っている彦根の城主が大老になった年の秋、西北の空に突然彗星があらわれて、はじめ二三尺の長さのものがいつか空いっぱいに伸びて人魂の化物のようにのたうちまわったかと思うと、地上ではコロリという疫病が流行りだして、お染がとられてしまっ・・・ 織田作之助 「螢」
・・・という性質にもなるので感情過多いわゆる水性ということは人生の離合の悲劇を避けるためには最もつつしまねばならぬことだからである。 それでは如何なる場合に合し如何なる場合に離れるべきか。そうした離合の拠るべき法則というものはないのか。それは・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・「四十二の一白水星。気の多いとしまわりで弱ります。」 僕はころげるようにして青扇の家から出て、夢中で家路をいそいだものだ。けれど少しずつ落ちつくにつれて、なんだか莫迦をみたというような気がだんだんと起って来たのである。また一杯くわされた・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・一白水星、旅行見合せ、とある。」「一本三銭の Camel をくゆらす。すこし豪華な、ありがたい気持になる。自分が可愛くなる。」「女中がそっとはいって来て、お床は? ということになる。」「はね起きて、二つだよ、と快活に答える。ふと・・・ 太宰治 「雌に就いて」
・・・それで重力の秘密は自明的に解釈されると同時に古い力学の暗礁であった水星運動の不思議は無理なしに説明され、光と重力の関係に対する驚くべき予言は的中した。もう一つの予言はどうなるか分らないが、ともかくも今まで片側だけしか見る事の出来なかった世界・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫