・・・要するにかくのごとき社会を総べる形式というものはどうしても変えなければ社会が動いて行かない。乱れる、纏まらないということに帰着するだろうと思う。自分の妻女に対してさえも前申した通りである。否わが家の下女に対しても昔とは趣きが違うならば、教育・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・水苔も生えている。滑るだろうか。滑らない。ゴム靴の底のざりざりの摩擦がはっきり知れる。滑らない。大丈夫だ。さらさら水が落ちている。靴はビチャビチャ云っている。みんないい。それにみんなは後からついて来る。苔がきれいにはえている。実に円く柔・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・ 夏は、若い者共の泳場となり、冬は、諏訪の湖にあこがれる青年が、かなり厚く張る氷を滑るのであった。此等の池の美くしいのも只夏ばかりの僅かの間である。山々が緑になって、白雲は様々の形に舞う。 池の水は深く深くなだらかにゆらいで、小川と・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・いつものお婆さんなら、少し鼻にかかった作り声で、滑るように「お暑いこってござりやすないと返事をする筈なのである。 けれども、今日は如何うかして、小学校の子供のように、お婆さんは只コックリと頭を下げた限りで、ぼんやりと天日に頭を曝・・・ 宮本百合子 「麦畑」
・・・車道を辷るシトロエンが夢のようなレモン色だ。女の赤い帽子、総ての色調を締める黒の男性散策者。 人は心を何ものかにうばわれたように歩く。……歩く。葉巻の煙、エルムの若葉の香、多くの窓々が五月の夕暮に向って開かれている。 やがて河から靄・・・ 宮本百合子 「わが五月」
出典:青空文庫