・・・天龍寺の玄関を上って左へ折れすぐまた右へ折れたところに対局場にあてられた大書院があったのだが、花田八段は背中を猫背にまるめて自分の足許を見つめながら、ずんずんと廊下の端まで直っすぐに行ってしまい、折れるのを忘れてしまうのである。「花田さん、・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・磯高く曳き上げし舟の中にお絹お常は浴衣を脱ぎすてて心地よげに水を踏み、ほんに砂粒まで数えらるるようなと、海近く育ちて水に慣れたれば何のこわいこともなく沖の方へずんずんと乳の辺りまで出ずるを吉次は見て懐に入れし鼈甲の櫛二板紙に包んだままをそっ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・心不乱とはここの事だ、たとい耳のそばで狼がほえようが心を取り乱し気を散じないくらいでなければならないのが、森の奥でちょっと音がしたって、すぐそれに気を取られるようでどうするかと、今度はまずくても何でもずんずん画いていると、ゴソッ、ガサッとい・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・また思い切ってその翌朝、今度は団飯もたくさんに用意する、銭も少しばかりずつ何ぞの折々に叔父に貰ったのを溜めておいたのをひそかに取り出す、足ごしらえも厳重にする、すっかり仕度をしてしまって釜川を背後に、ずんずんずんずんと川上に上った。やがて小・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・苫は既に取除けてあるし、舟はずんずんと出る。客はすることもないから、しゃんとして、ただぽかんと海面を見ていると、もう海の小波のちらつきも段と見えなくなって、雨ずった空が初は少し赤味があったが、ぼうっと薄墨になってまいりました。そういう時は空・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・私は春先の筍のような勢いでずんずん成長して来た次郎や、三郎や、それから末子をよく見て、時にはこれが自分の子供かと心に驚くことさえもある。 私たち親子のものは、遠からず今の住居を見捨てようとしている時であった。こんなにみんな大きくなって、・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・弟の見つけた家にしては広過ぎるほどの部屋々々の間を歩いて行くと、またその先に別の長い廊下が続いていた。ずんずん歩いて行けば行くほど、何となく見覚えのある家の内だ。その廊下を曲ろうとする角のところに、大きな鋸だの、厳めしい鉄の槌だの、その他、・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・「さっき私は誰もいないのだと思って、一人でずんずんここへ上ってきたんでした」と言って、お長が手枕の真似をしたことを胸に浮べる。女の人は少し頭痛がしたので奥で寝んでいたところ、お長が裏口へ廻って、障子を叩いて起してくれたのだと言う。「・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 焔はちろちろ燃えて、少しずつ少しずつ短かくなって行くけれども、私はちっとも眠くならず、またコップ酒の酔いもさめるどころか、五体を熱くして、ずんずん私を大胆にするばかりなのである。 思わず、私は溜息をもらした。「足袋をおぬぎにな・・・ 太宰治 「朝」
・・・かまわず、ずんずん進んだ。急な勾配は這ってのぼった。死ぬことにも努力が要る。ふたり坐れるほどの草原を、やっと捜し当てた。そこには、すこし日が当って、泉もあった。「ここにしよう。」疲れていた。 かず枝はハンケチを敷いて坐って嘉七に笑わ・・・ 太宰治 「姥捨」
出典:青空文庫