・・・ それから三四日経ったある雨の夜、加納平太郎と云う同家中の侍が、西岸寺の塀外で暗打ちに遇った。平太郎は知行二百石の側役で、算筆に達した老人であったが、平生の行状から推して見ても、恨を受けるような人物では決してなかった。が、翌日瀬沼兵衛の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・「二人は正眼に構えたまま、どちらからも最初にしかけずに居りました。その内に多門は隙を見たのか、数馬の面を取ろうと致しました。しかし数馬は気合いをかけながら、鮮かにそれを切り返しました。同時にまた多門の小手を打ちました。わたくしの依怙の致・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・この川はたいそうきれいな川で西岸には古いお城があったり葡萄の畑があったりして、川ぞいにはおりしも夏ですから葦が青々とすずしくしげっていました。 燕はおもしろくってたまりません。まるでみなで鬼ごっこをするようにかけちがったりすりぬけたり葦・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・ よし、ただ、南無とばかり称え申せ、ここにおわするは、除災、延命、求児の誓願、擁護愛愍の菩薩である。「お爺さん、ああ、それに、生意気をいうようだけれど、これは素晴らしい名作です。私は知らないが、友達に大分出来る彫刻家があるので、門前・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ただ蔵経はかなり豊富だったので、彼は猛烈な勉強心を起こして、三七日の断食して誓願を立て、人並みすぐれて母思いの彼が訪ね来た母をも逢わずにかえし、あまりの精励のためについに血を吐いたほどであった。 十六歳のとき清澄山を下って鎌倉に遊学した・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ どこをも、別荘の園のあるあたりをも、波戸場になっているあたりをも、ずっと下がって、もう河の西岸の山が畠の畝に隠れてしまう町のあたりをも、こんた黒い男等の群がゆっくり歩いている。数週前から慣れた労働もせず、随って賃銀も貰わないのである。・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・四木橋からその下流にかけられた小松川橋に至る間に、中川の旧流が二分せられ、その一は放水路に入り、更に西岸の堤防から外に出ているが、その一は堤を異にして放水路と並行して南下しているのに出逢う。 市川の町へ行く汽車の鉄橋を越すと、小松川の橋・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・北上川の西岸でした。東の仙人峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截って来る冷たい猿ヶ石川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。 イギリス海岸には、青白い凝灰質の泥岩が、川に沿ってずいぶん広く露出し、その南のはじに立ちますと・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・赤青眼鏡を二組みも持っていらっしゃるわ、夜も電燈でしょう。あたしは夜だってランプですわ、眼鏡もただ一つきり、それに木ですわ」「わかってますよ。だから僕はすきなんです」「あら、ほんとう。うれしいわ。あたしお約束するわ」「え、ありが・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・とひとりぶつぶつ言いながら、からだを深く折り曲げて眼一杯にみひらいて、足もとの砂利をねめまわしながら、兎のようにひょいひょいと、葛丸川の西岸の大きな河原をのぼって行った。両側はずいぶん嶮しい山だ。大学士は・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
出典:青空文庫