・・・ 重吉というのは自分の身内ともやっかいものともかたのつかない一種の青年であった。一時は自分の家に寝起きをしてまで学校へ通ったくらい関係は深いのであるが、大学へはいって以来下宿をしたぎり、四年の課程を終わるまで、とうとう家へは帰らなかった・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・そして多くの青年が迷う如く私もこの問題に迷うた。特に数学に入るか哲学に入るかは、私には決し難い問題であった。尊敬していた或先生からは、数学に入るように勧められた。哲学には論理的能力のみならず、詩人的想像力が必要である、そういう能力があるか否・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・月琴の師匠の家へ石が投げられた、明笛を吹く青年等は非国民として擲られた。改良剣舞の娘たちは、赤き襷に鉢巻をして、「品川乗出す吾妻艦」と唄った。そして「恨み重なるチャンチャン坊主」が、至る所の絵草紙店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 私は未だ極道な青年だった。船員が極り切って着ている、続きの菜っ葉服が、矢っ張り私の唯一の衣類であった。 私は半月余り前、フランテンの欧洲航路を終えて帰った許りの所だった。船は、ドックに入っていた。 私は大分飲んでいた。時は・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 試みに西洋諸国の工商社会を見れば、某は何々の工事を企てて何十万円を得たり、某は何々の商売に何百万の産をなしたりという、その人の身は、必ず学校より出でたる者にして、少小教育の所得を、成年の後、殖産の実地に施し、もって一身一家の富をいたし・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・啻に白頭の故老のみならず、青年以上有為の士人中にも、一切万事有形も無形も文明主義の一以て之を貫くと敢て公言して又実際に之を実行しながら、独り男女両性の関係に就ては旧儒教流の陋醜を利用して、自から婬猥不倫の罪を免れんとする者あるこそ可笑しけれ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・そうじゃなくて、自分の頭に、当時の日本の青年男女の傾向をぼんやりと抽象的に有っていて、それを具体化して行くには、どういう風の形を取ったらよかろうか。といろいろ工夫をする場合に、誰か余所で会った人とか、自分の予て知ってる者とかの中で、稍々自分・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・ その時のピエエルは高等学校を卒業したばかりで、高慢なくせにはにかんだ、世慣れない青年であった。丈は不吊合に伸びていて、イギリス人の a long lad なんぞと云うたちである。金は無い。親を亡くした当座で、左の腕に喪章を附けている。・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・隣りには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹かれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛ら・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・もう一つのコムソモール・ヤチェイカというのは、共産青年同盟細胞という意味である。 私は二つめの戸を入って行って、そこに書きものをしている若い婦人労働者に、「今日は」と云った。「私は日本からきたんですが、これをみて下さい」・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
出典:青空文庫