はしがき この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余の講話を、同校委員諸子の承諾を得てここに印刷に附せしものなり。 事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれど・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ほかの人もアメリカへ金もらいに行くから私も行こう、他の人も壮士になるから私も壮士になろう、はなはだしきはだいぶこのごろは耶蘇教が世間の評判がよくなったから私も耶蘇教になろう、というようなものがございます。関東に往きますと関西にあまり多くない・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・またこの革新的気分と、人生的の感激を有しないセンチメンタリズムが詩を綴っていたら詩の精神を有しないばかりでなく、常に、新生活創始に先駆たるべき文化の精神を、誤るものだということを憚らないのであります。 詩の誤解されていることも久しいけれ・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・ 広島訛に大阪弁のまじった言葉つきを嗤われながら、そこで三月、やがて自由党の壮士の群れに投じて、川上音次郎、伊藤痴遊等の演説行に加わり、各地を遍歴した……と、こう言うと、体裁は良いが、本当は巡業の人足に雇われたのであって、うだつの上がる・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ついては、いつも思うのであるが、今日は同人雑誌の洪水時代で、毎月私の手元へも夥しい小冊子が寄贈される。扨それらの雑誌を見ると、殆んど大部分が東京の出版であり、熟れも此れも皆同じように東京人の感覚を以て物を見たり書いたりしている。彼等のうちに・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・ かれに恋人あり、松本治子とて、かれが二十二の時ゆくりなく相見て間もなく相思うの人となりぬ。十年互いに知りてついに路傍の石に置く露ほどの思いなく打ち過ぐるも人と人との交わりなり、今日見て今夜語り、その夜の夢に互いに行く末を契るも人と人と・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・こちらの熱情がそれを呼びさまし、相手の注意がこちらに向いて、ついに熱烈な相思の仲になることもあるものだ。先方が稚い娘であるときにそうしたことがある。が、それにはよほどの熱誠と忍耐とがいるものだ。 が、それにもかかわらずどうしてもうまくい・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・竹斎だか何だったか徳川初期の草子にも外法あたまというはあり、「外法の下り坂」という奇抜な諺もあるが、福禄寿のような頭では下り坂は妙に早かろう。 流布本太平記巻三十六、細川相模守清氏叛逆の事を記した段に、「外法成就の志一上人鎌倉より上つて・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・かならず、よい家を創始するにちがいない。 私がこれから物語ろうと思ういきさつの男女も、このような微笑の初夜を得るように、私は衷心から祈っている。 東京の郊外に男爵と呼ばれる男がいた。としのころ三十二、三と見受けられるが、或いは、もっ・・・ 太宰治 「花燭」
・・・めくら草子の校正たしかにいただきました。御配慮恐入ります。只今校了をひかえ、何かといそがしくしております。いずれ。匆々。相馬閏二。」 月日。「近頃、君は、妙に威張るようになったな。恥かしいと思えよ。いまさら他の連中なんかと比較し・・・ 太宰治 「虚構の春」
出典:青空文庫