・・・「僧都の御房! よく御無事でいらっしゃいました。わたしです! 有王です!」 わたしは思わず駈け寄りながら、嬉しまぎれにこう叫びました。「おお、有王か!」 俊寛様は驚いたように、わたしの顔を御覧になりました。が、もうわたしはそ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・かつ高価を支払われて外国へ流出したものも沢山あるらしいから、追付けクルトやズッコのお仲間が日本人の余り知らない傑作の複製を挿図した椿岳画伝を出版して欧洲読画界を動揺する事がないとも限られない。「俺の画は死ねば値が出る」と傲語した椿岳は苔下に・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 源信僧都の母は、僧都がまだ年若い修業中、経を宮中に講じ、賞与の布帛を賜ったので、その名誉を母に伝えて喜ばそうと、使に持たせて当麻の里の母の許に遣わしたところ、母はそのまま押し返して、厳しい、諫めの手紙を与えた。「山に登らせたまひし・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・そうして、この建暦元年には、ようやく十二歳になられ、その時の別当定暁僧都さまの御室に於いて落飾なされて、その法名を公暁と定められたのでございます。それは九月の十五日の事でございましたが御落飾がおすみになってから、尼御台さまに連れられて将・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・またいもがしらばかり食った盛親僧都の話でも自由風流の境に達した達人の逸話である。自由に達して始めて物の本末を認識し、第一義と第二義を判別し、末節を放棄して大義に就くを得るということを説いたのには第百十二段、第二百十一段などのようなものがある・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・そうしてそれらの挿図の説明はというとほとんど空っぽである。全く挿図のレビューである。そのうちの一つだけにして他は割愛して、その代りその一つをもう少し詳しく分かるように説明した方が本当の「物理」を教えるためには有効でありそうに思われる。それか・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・国守の恩人曇猛律師は僧都にせられ、国守の姉をいたわった小萩は故郷へ還された。安寿が亡きあとはねんごろに弔われ、また入水した沼の畔には尼寺が立つことになった。 正道は任国のためにこれだけのことをしておいて、特に仮寧を申し請うて、微行して佐・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫