・・・昼間、太陽が野天に輝やいて、遠くの森が常緑の梢で彼を誘惑する時、雄鳩は白い矢のように勇ましく其方へ翔んだ。けれども夕方が地球の円みを這い上って彼の本能に迫る時、雄鳩は急な淋しさを覚えた。彼は畑や、硝子をキラキラ夕栄えさせる温室の陰やらを気ぜ・・・ 宮本百合子 「白い翼」
・・・そこでその手が血に染んでいないことだけはたしかな永井荷風の作品、谷崎潤一郎の作品などが、当時の営利雑誌に氾濫し、ある意味で今日デカダンティズム流行の素地をつくった。そして、戦争の永い年月、人間らしい自主的な判断による生きかたや、趣味の独立を・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・それは人間的な素地として、其々の専門部門への特別な天稟とともに備えている。其々の時代の制約と闘うということも共通である。苦心するのも共通である。「ロダンの言葉」という二巻の本がある。これが、ロダンの芸術を益々ふかく理解させるばかりか、後・・・ 宮本百合子 「「青眉抄」について」
・・・の規定のなかに入れられていない筈の世襲の特権・門地・特権地位者を、引出して来て、肝心の主権をそっくり人民の手の中から其方へ握らせているのである。 主権在民ということは、最少限に考えて、人民自身が、行政、司法、立法の全権を有すという意味で・・・ 宮本百合子 「矛盾とその害毒」
・・・これらは、どういう「非常措置」を受けるのだろうか。同じこの朝の新聞には、推定失業者五百八十三万人と出ている。三月までに八十三万人が就業と示されているが、この新しい就業者も、職場へ行くには電車がいるだろう、省線にものるだろう。 企業家のサ・・・ 宮本百合子 「モラトリアム質疑」
・・・ 去る二月十六日午後から、日本にはインフレーション防止非常措置として、モラトリアムがしかれた。瀕死の病人の体温表をみると、脈搏の数は益々多く、高く高くと青線は下から昇りつめるのに、体温は、命数のつきるにしたがって、低く低くと衰えて来て、・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・勿論、私は其方へ近づいて見ました。すると、大勢の人垣の中には、唯一人の少年がしきりに何か話しています。まだやっと十一か十二位の少年が、手に小さい帳面と鉛筆と、何か印刷したものとを持って、一生懸命に話しているのです。沢山の、思い思いの風をした・・・ 宮本百合子 「私の見た米国の少年」
・・・君子道徳と結びつき得る素地は、ここに十分に成立しているのである。 この道徳の立場は、「敵を愛せよ」という代わりに「敵を敬せよ」という標語に現わし得られるかもしれない。「信玄家法」のなかに、敵の悪口いうべからずという一項がある。敵をののし・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・むしろ自分の内のすべてを流動させ、燃え上がらせ、大きい生の交響楽を響き出させる素地をつくるのです。 この「教養」は青春期においては、その感覚的刺激の烈しくない理由によって、きわめて軽視されやすいものです。しかしその重大な意義は中年になり・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫