・・・すべての牌と名のつくものがむやみにかちかちしていつまでも平気に残っているのを、もろうた者の煙のごとき寿命と対照して考えると妙な感じがする。それから二階へ上る。ここにまた大きな本棚があって本が例のごとくいっぱい詰まっている。やはり読めそうもな・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・この両者を前に申述べた教育と対照いたしますと、ローマンチシズムと、昔の徳育即ち概念に囚れたる教育と、特徴を同うし、ナチュラリズムと現今の事実を主とする教育と、相通うのであります。以前文芸は道徳を超絶するという議論があり、またこれを論じた大家・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ ローマンチックの道徳は何となしに対象物をして大きく偉く感じさせる。ナチュラリズムの道徳は、自己の欠点を暴露させる正直な可愛らしい所がある。 ローマンチシズムの芸術は情緒的エモーショナルで人をして偉く大きく思わせるし、ナチュラリズム・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ 御大葬と乃木大将の記事で、都下で発行するあらゆる新聞の紙面が埋まったのは、それから一日おいて次の朝の出来事である。 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・云い換えれば研究の対象をどこまでも自分から離して眼の前に置こうとする。徹頭徹尾観察者である。観察者である以上は相手と同化する事はほとんど望めない。相手を研究し相手を知るというのは離れて知るの意でその物になりすましてこれを体得するのとは全く趣・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・――大正三年一月十七日東京高等工業学校において―― 夏目漱石 「無題」
・・・――大正二年十二月十二日第一高等学校において―― 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・然らばといって、たといそれが意識一般といっても主観の綜合統一によって成立すると考えられる世界は、何処までも自己によって考えられた世界、認識対象界たるに過ぎない。かかる対象的実在の世界からは、実践的当為の出て来ないのはいうまでもない。デカルト・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・丁度大正時代の文壇で、一時トルストイやタゴールが流行児であつた如く、ニイチェもまたかつて流行児であつた。そしてトルストイやタゴールが廃つた如く、ニイチェもまた忽ちに廃つてしまつた。それもその筈である。人々はただニイチェの名前だけを、ジャーナ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・、比較的忠実に読んだ人さへが、単なる英雄主義者として、反キリストや反道徳の痛快なヒーローとして、単純な感激性で崇拝して居たこと、あたかも大正期の文壇でトルストイやドストイェフスキイやを、単なる救世軍の大将として、白樺派の人々が崇拝して居たに・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
出典:青空文庫