・・・とはまさに対蹠的の性質をもった雌猫であった。だれからもきれいとほめられる容貌と毛皮をもって、敏捷で典雅な挙止を示すと同時に、神経質な気むずかしさをもっていた。もちろん家族の皆からかわいがられ、あらゆる猫へのごちそうと言えばこの三毛のためにの・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ この頭の働きの領土の広さと自由な滑脱性とに関して芭蕉と対蹠的の位置にいたのはおそらく凡兆のごとき人であったろう。試みにやはり『灰汁桶』の巻について点検すると、なるほど前句「摩耶」の雲に薫風を持って来た上に「かますご」を導入したのは結構・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・、是非にも遊びに来るようにと手紙をもらうことも度々になったので、去年の正月も七草を過ぎたころ、見物に出かけた、その時木馬館の後あたりに小屋掛をして、裸体の女の大勢足をあげて踊っている看板と、エロス祭と大書した札を出しているのがあった。入場料・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・思想方面では、レーニンやトロツキイの共産主義者を始め、それの対蹠であるファッショや強権主義者等までが、多少みな間接にニイチェの影響を蒙つて居る。文学の方面では、ドストイェフスキイや、ストリンドベルヒや、アルチバセフや、アンドレ・ジイド等が、・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・今一証を示さんに、駿州清見寺内に石碑あり、この碑は、前年幕府の軍艦咸臨丸が、清水港に撃たれたるときに戦没したる春山弁造以下脱走士の為めに建てたるものにして、碑の背面に食人之食者死人之事の九字を大書して榎本武揚と記し、公衆の観に任して憚るとこ・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・そのことをつよく感じる人々は、同時に、この二人の作家が全く対蹠的に一生を送ったことについても、浅からぬ感銘を与えられているのではなかろうか。 同じ死ということでも、藤村の死去ときいて、私たちには儀式めいた紋付羽織袴のそよぎが感じられた。・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・ 自由という名は耳と心に快くひびくが、食糧事情の現実は、わたしどもの今日に、饑餓と大書してそびえ立っている。開放と不安との間に、橋の架けかたを知らされずに近代を通ってきた正直な日本の幾千万の人々が、ひしめいているのである。 文学が、・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・は、内藤長十郎が報謝と賠償の唯一の道として全意志を傾けて忠利から殉死の許可を獲て、それで己は家族を安穏な地位に置いて、安んじて死ぬことが出来ると、晴々と昼寝してから腹を切りに菩提所東光院に赴いた心理に対蹠する、複雑な翳として忠利の死という一・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・六十八歳で歿したゴーリキイが晩年においては、最も概念的であるべき論説においてさえ、ますます具体性と輝やかしい感性とをもった文章を書き、世界の文化に尽したという全く対蹠的な一事実を、心理学者は何と分析するであろうか。私はそのような心理学者の出・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・自分たちが学校の看板をとって投げすてたその溝川へ、あろうことかA部隊と大書した板が投げこまれているではないか。娘ども、と思っていた女生徒たち以外にそんなことを敢えてする者は、その雑木林の町にはいない。問題となって、そこの女生徒全部を軍法会議・・・ 宮本百合子 「結集」
出典:青空文庫