たいらのやすより【平康頼】
平安末期、後白河院の近臣。鹿ヶ谷 (ししがたに) の議に参加し、俊寛らとともに鬼界ヶ島に流され、翌年許されて帰り、仏門に入った。法名、性照。著「宝物集」。生没年未詳。
たいらのよしかど【平良門】
平将門 (まさかど) の遺子として浄瑠璃・歌舞伎などに脚色されている人物。浄瑠璃「関八州繋馬 (かんはっしゅうつなぎうま) 」や、読本「善知鳥安方忠義伝 (うとうやすかたちゅうぎでん) 」などに登場する。
たいらのよりもり【平頼盛】
[1131〜1186]平安末期の武将。忠盛の子。その住居を池殿といい、池の大納言と称した。母、池禅尼が源頼朝を救ったので、平氏敗北後も鎌倉に招かれて厚遇されたが、平氏滅亡後出家した。法名、重蓮。
たいらのただまさ【平忠正】
[?〜1156]平安後期の武将。正盛の子。清盛の叔父。保元の乱で崇徳上皇方について敗れ、子らとともに処刑された。
たいらのよりつな【平頼綱】
[?〜1293]鎌倉時代の武将。第9代執権北条貞時の乳母 (うば) の夫。貞時の執権就任とともに内管領となり、幕府内で対立していた安達泰盛とその一族を滅ぼした(霜月騒動)。その後、専制体制を敷いて幕政を掌握したが、その権勢を警戒した貞時によって討たれた。
たいらのよりつなのらん【平頼綱の乱】
⇒平禅門の乱