・・・二両二貫が何高値いべ。汝たちが骨節は稼ぐようには造ってねえのか。親方には半文の借りもした覚えはねえからな、俺らその公事には乗んねえだ。汝先ず親方にべなって見べし。ここのがよりも欲にかかるべえに。……芸もねえ事に可愛くもねえ面つんだすなてば」・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・シオンの山の凱歌を千年の後に反響さすような熱と喜びのこもった女声高音が内陣から堂内を震動さして響き亘った。会衆は蠱惑されて聞き惚れていた。底の底から清められ深められたクララの心は、露ばかりの愛のあらわれにも嵐のように感動した。花の間に顔を伏・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・露店の売品の値価にしては、いささか高値じゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、諸君。」 と重なり合った人群集の中に、足許の溝の縁に、馬乗提灯を動き出しそうに据えたばかり。店も何も無いのが、額を仰向けに・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・空は底を返したるごとく澄み渡りて、峰の白雲も行くにところなく、尾上に残る高嶺の雪はわけて鮮やかに、堆藍前にあり、凝黛後にあり、打ち靡きたる尾花野菊女郎花の間を行けば、石はようやく繁く松はいよいよ風情よく、えんようたる湖の影はたちまち目を迎え・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・それが消えて行くのを、追い縋りでもするように、またヴァイオリンの高音が響いて来る。 このかすかな伴奏の音が、別れた後の、未来に残る二人の想いの反響である。これが限りなく果敢なく、淋しい。「あかあかとつれない秋の日」が、野の果に沈んで・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・カルソーの母音の中の微妙な変化やテトラッチニの極度の高音やが分析の俎板に載せられている。それにもかかわらず母音の組成に関する秘密はまだ完全に明らかにはならない。ヘルムホルツ、ヘルマン以来の論争はまだ解決したとは言われないようである。このよう・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・と「摩耶の高根に雲」、「迎いせわしき」と「風呂」、「すさまじき女」と「夕月夜岡の萱根の御廟」、等々々についてもそれぞれ同様な夢の推移径路に関すると同様の試験的分析を施すことは容易である。 こういうふうの意味でのアタヴィズムはむしろあると・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 歌は若い娘の声、絃は高音を入れた連奏である。この音楽があったために倉続きの横町の景色が生きて来たものか、あるいは横町の景色が自分の空想を刺戟していたために長唄がかくも心持よく聞かれたのか、今ではいずれとも断言する事はできない。真正の音・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・やはり文学がすきで、作文のなかに漱石もどきに、菫ほどの小さき人云々と書いたりしていた高嶺さん。ショルツについて分教場でピアノを勉強していたこの友達は、独特なシントーイストの妻となって、小説を書く女とのつき合いなどは良人であるひとからとめられ・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・宮本百合子 一九四三年九月八日〔大森区新井宿一ノ二三四五 高根包子宛 本郷区林町二一より〕 先日は山からのおたよりありがたく頂きました。お忙しくてもいつも御元気で本当に何よりとおよろこび申しあげます。 わたくしも五ヵ・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
出典:青空文庫