・・・ トウン――と、足拍子を踏むと、膝を敷き、落した肩を左から片膚脱いだ、淡紅の薄い肌襦袢に膚が透く。眉をひらき、瞳を澄まして、向直って、「幹次郎さん。」「覚悟があります。」 つれに対すると、客に会釈と、一度に、左右へ言を切って・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・―― またその手で、硝子杯の白雪に、鶏卵の蛋黄を溶かしたのを、甘露を灌ぐように飲まされました。 ために私は蘇返りました。「冷水を下さい。」 もう、それが末期だと思って、水を飲んだ時だったのです。 脚気を煩って、衝心をしか・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・踏掛けて塗下駄に、模様の雪輪が冷くかかって、淡紅の長襦袢がはらりとこぼれる。 媚しさ、というといえども、お米はおじさんの介添のみ、心にも留めなそうだが、人妻なれば憚られる。そこで、件の昼提灯を持直すと、柄の方を向うへ出した。黒塗の柄を引・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・(八兵衛の事蹟については某の著わした『天下之伊藤八兵衛』という単行の伝記がある、また『太陽』の第一号に依田学海の「伊藤八兵衛伝」が載っておる。実業界に徳望高い某子爵は素七 小林城三 椿岳は晩年には世間離れした奇人で名を売った・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・木賃宿を泊り歩いているうちに周旋屋にひっ掛って、炭坑へ行ったところ、あらくれの抗夫達がこいつ女みてえな肌をしやがってと、半分は稚児苛めの気持と、半分は羨望から無理矢理背中に刺青をされた。一の字を彫りつけられたのは、抗夫長屋ではやっていた、オ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・という言葉と、小隊長をオトラ婆さんに残して、炭坑へ働きに行ったのである。「あたしゃ一杯くわされた」 オトラ婆さんは口惜しがったが追っつかず、小隊長と二人でひっそり暮した。ある日小隊長は腹部に激痛を訴えたので、驚いた婆さんは灸を据えた・・・ 織田作之助 「電報」
・・・を本当に読んだのは「夫婦善哉」を単行本にしてからである。私のスタイルが西鶴に似ている旨、その単行本を読んだある人に注意されて、かつて「雨」の形式で「一代男」をひそかに考えていたことはあるにせよ、意外かつ嬉しかった。その頃まだ「一代男」すら通・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・と顔は早くも淡紅を散らして、いやな父様だよ。と帯締めの打紐を解きつ結びつ。 綱雄といえば旅行先から、帰りがけにここへ立ち寄ると言ってよこしたが、お前はさぞ嬉しかろうなとからかい出す善平、またそのようなことを、もう私は存じませぬ、と光代は・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・竹内はそれと気がつき、「ウン貴様は未だこの方を御存知ないだろう、紹介しましょう、この方は上村君と言って北海道炭鉱会社の社員の方です、上村君、この方は僕の極く旧い朋友で岡本君……」 と未だ言い了らぬに上村と呼ばれし紳士は快活な調子で・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・この一つより立つ煙ほそぼそと天にのぼれば、淡紅色の霞につつまれて乙女の星先に立ち静かに庭に下れり。詩人が庭のたき火も今夜をかぎりなれば残り惜しく二人は語り、さて帰るさ、庭の主人に一語の礼なくてあるべからずと、打ち連れて詩人の室に入れば、浮世・・・ 国木田独歩 「星」
出典:青空文庫