・・・私は、自分がひどく貧乏な大工の家に生れ、気の弱い、小鳥の好きな父と、痩せて色の黒い、聡明な継母との間で、くるしんで育ち、とうとう父母にそむいて故郷から離れ、この東京に出て来て、それから二十年間お話にも何もならぬ程の困苦に喘ぎ続けて来たという・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・饗宴の興を添えるために来客のだれかれがいろいろの芸尽くしをやった中に、最もわれわれ子供らの興味を引いたものは、ある大工さんのおはこの影絵の踊りであった。それは、わずかに数本の箸と手ぬぐいとだけで作った屈伸自在な人形に杯の笠を着せたものの影法・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・「――うちは百姓だけど、兄さんが大工さんだって。もうシゲちゃんもそろそろ、ねェ」 三吉はくらくなってきた足もとをみていた。彼女は紙巻工であった深水の嫁さんの同僚で、深水の結婚式のとき、てつだいにきていた彼女を、三吉は顔だけみたのであ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・翌朝出入の鳶の者や、大工の棟梁、警察署からの出張員が来て、父が居間の縁側づたいに土足の跡を検査して行くと、丁度冬の最中、庭一面の霜柱を踏み砕いた足痕で、盗賊は古井戸の後の黒板塀から邸内に忍入ったものと判明した。古井戸の前には見るから汚らしい・・・ 永井荷風 「狐」
・・・最後に意を働かす人は、物の関係を改造する人で俗にこれを軍人とか、政治家とか、豆腐屋とか、大工とか号しております。 かように意識の内容が分化して来ると、内容の連続も多種多様になるから、前に申した理想、すなわちいかなる意識の連続をもって自己・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・檜の指物膳箱などを製し、元結の紙糸を捻る等に過ぎざりしもの、次第にその仕事の種類を増し、下駄傘を作る者あり、提灯を張る者あり、或は白木の指物細工に漆を塗てその品位を増す者あり、或は戸障子等を作て本職の大工と巧拙を争う者あり、しかのみならず、・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・若い大工がかなづちを腰にはさんで、尤もらしい顔をして庭の塀や屋根を見廻っていたがね、本当はやっこさん、僕たちの馳けまわるのが大変面白かったようだよ。唇がぴくぴくして、いかにもうれしいのを、無理にまじめになって歩きまわっていたらしかったんだ。・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・一太の窓から見えるところが大工の家で、忠公の棲居であった。忠公は、一太のように三畳にじっとしていないでもよいそこの息子であったから、土間の障子を明けっぱなしで遊んでいた。一太が竹格子から見ていると、忠公も軈て一太を見つける。忠公は腕白者で、・・・ 宮本百合子 「一太と母」
文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町の、今歩兵第三聯隊の兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿の領主松平左七郎乗羨と云う大名の邸の中に、大工が這入って小さい明家を修復している。近所のものが誰の住まいになるのだと・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・母親が煽動に乗せられているのを思うと、別に大工の手にかけて棺を造ろうかと思った。が、しかし一々秋三に反抗するのもあまり大人気ないように思われた。が、何かにつけて自分の弱味――安次を組の手に押し附けたと云う此の弱味、それは自分の知らないことだ・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫