・・・こんなものを使わなくても、何か鋸屑でも固めたようなもので建築材料を作ってそれで建てたらいいだろうと思う。 美術展覧会に使われている建物もやはり間に合せである。この辺のものはみんな間に合せのものばかりのような気がして、どうも気持が悪い。・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・ この記事が東京朝日新聞に出たのを見た滝野川の伊達氏が、わざわざ手紙をよこして、チャップリンの文楽見物の事実を知らせてくれた。最終日に「良弁杉の由来」の一部分を見て、夕飯後明治座へ行ったそうである。・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・「それああなた、まだ家が建てこまんからそうですけれど……」「何にしろ広い土地が、まだいたるところにたくさんあるんだね。もちろん東京とちがって、大阪は町がぎっしりだからね。その割にしては郊外の発展はまだ遅々としているよ」「それああ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・煙管を持つ手や、立てている膝頭のわなわな戦いているのも、向合っている主の目によく見えた。「忘れもしねえ、それが丁度九月の九日だ。私はその時、仕事から帰って、湯に行ったり何かしてね、娘どもを相手に飯をすまして、凉んでるてえと、××から忰の・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・しかるに彼ら閣臣の輩は事前にその企を萌すに由なからしむるほどの遠見と憂国の誠もなく、事後に局面を急転せしむる機智親切もなく、いわば自身で仕立てた不孝の子二十四名を荒れ出すが最後得たりや応と引括って、二進の一十、二進の一十、二進の一十で綺麗に・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・赤子に差異はない、なにとぞ二十四名の者ども、罪の浅きも深きも一同に御宥し下されて、反省改悟の機会を御与え下されかしと、身を以て懇願する者があったならば、陛下も御頷きになって、我らは十二名の革命家の墓を建てずに済んだであろう。もしかような時に・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・「また俺らの上納米で建てたんだろべい」 四 そう呟いて善ニョムさんはまた向き直って、肥料を移した手笊を抱えて、調子よく、ヒョイヒョイと掴んで撒きながら、「金の大黒すえてやろ、ホイキタホイ」 麦の芽は、新し・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・此処に停車場を建てて汽車の発着する処となしたのは上野公園の風趣を傷ける最大の原因であった。上野の停車場及倉庫の如きは其の創設の当初に於て水利の便ある秋葉ヶ原のあたりを卜して経営せられべきものであった。然し新都百般の経営既に成った後之を非難す・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 碑の立てられた文化九年には南畝は既に六十四歳になっていた。江戸から遠くここに来って親しく井の水を掬んだか否か。文献の徴すべきものがあれば好事家の幸である。 わたくしは戦後人心の赴くところを観るにつけ、たまたま田舎の路傍に残された断・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・彼は能く唄ったけれど鼻がつまって居る故か竹の筒でも吹くように唯調子もない響を立てるに過ぎない。性来頑健は彼は死ぬ二三年前迄は恐ろしく威勢がよかった。死ぬ迄も依然として身体は丈夫であったけれど何処となく悄れ切って見えた。それは瞽女のお石がふっ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫